母の遺品から「捕虜カード」 沖縄戦で米軍が作成 専門家「珍しく、資料的価値高い」


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カマドさんが保管していた捕虜カード。左が封筒型カードで、右が同封されていた紙

 【読谷】沖縄戦時中、米軍が身柄を捕らえた市民などに対し、氏名や国籍、保護された場所や時期など、個人への尋問を記録した「捕虜カード」がこのほど、読谷村内で見つかった。所持していたのは、同村喜名に住む比嘉盛勝さん(81)。比嘉さんの母・カマドさん(享年64)が戦後も大切に保管していたカードで、遺留品の中から出てきたという。沖縄戦に詳しい県公文書館公文書管理課資料公開班の仲本和彦班長は「現物を確認したのは初めてで、収容所の運営や当時を知る上で貴重な資料だ」と話す。

 カードは捕虜を意味する「POW」(Prisoner of War)と書かれた茶封筒型。氏名や国籍、保護された場所や日時を記す欄があるが、いずれも記載はなかった。中には縦30センチ、横20センチの紙が1枚同封されており、聞き取り内容を記す箇所には「この女性は非常に聡明(そうめい)で、(日本軍の)部隊について何か知っているかもしれない」と明記されていた。また、「TOYA」の表記もあり、カマドさんが一時、収容されていた読谷村都屋を示しているものとみられる。

比嘉盛勝さん

 沖縄戦の実相について米国立公文書館などで調査した経験もある仲本班長によると、南洋のサイパンやテニアンでも捕虜収容所にいた個人の記録があり、フィリピンでも形は異なるが住民の氏名や指紋などが記録された捕虜カードが残っているという。

 仲本班長は「恐らく個人の識別が目的ではないか。収容所内の管理のため、住民は首からカードをかけていたのだろう」と推測する。県内で現物がほとんど見つかっていないことから「収容所を出る際に米軍が回収した可能性が高い。捕虜自身が保管していたのは珍しく、資料的価値は高い」と述べた。

 比嘉さんは捕虜カードを読谷村史編集室へ寄贈した。