沖縄の自画像 大城立裕の生きた時代〈上〉 戯曲「カクテル・パーティー」


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和解へ 希望描く 悪循環断つ ハワイで訴え

 一つ一つのせりふに思いを乗せ、迫力ある演者の声が会場に響く。2011年10月の米ハワイ州オアフ島。ハワイ沖縄センターには、県系人ら約300人が来場し、舞台に見入っていた。客席には作家の大城立裕さんの姿もあった。舞台上では沖縄初の芥川賞を受賞した大城さんの小説「カクテル・パーティー」の戯曲版が英訳され、朗読劇の形式で初上演されていた。

「カクテル・パーティー」の朗読劇を終え、壇上であいさつする大城立裕さん(中央)、山里勝己さん(左)、フランク・スチュアートさん=2011年10月、米ハワイ州のハワイ沖縄センター(古堅一樹撮影)

 1967年に芥川賞を受賞した小説「カクテル・パーティー」の戯曲版を大城さんが書いたのは95年。米国の博物館で広島への原爆投下の展示を開こうとした際に、退役軍人らが真珠湾攻撃の犠牲者であることを強調し、原爆投下を正当化し、議論になったことがきっかけだという。米統治下の沖縄を描いた小説に対し、戯曲版は95年のワシントンの場面を軸に、小説で描かれていた米統治下で米兵犯罪が不平等に裁かれる事件も回想場面として登場する。原爆投下を正当化する95年当時の米国の世論も戯曲版に反映した。

 朗読劇の舞台で、沖縄出身の主人公や米国人、中国人らが日本軍の中国での行動、真珠湾攻撃、米軍の原爆投下など、太平洋戦争中の日米の加害行動を議論した。沖縄出身の日本兵が中国で残虐行為に加担したことも描かれる。互いに加害者であることを認めた上で、和解へと向かう未来をうかがわせる内容だった。

 真珠湾攻撃を受けた場所から近いハワイ沖縄センターでの公演。観客から「重要な問題を提起した勇気ある作家だ」「まず自分に何ができるか、何を改めるかを考えさせられた」などの感想が聞かれた。

 小説にはなかった和解や対話への望みが、なぜ戯曲では盛り込まれたのか。上演後の本紙インタビューに大城さんは「強国が覇権主義で何の反省もなく行動すると悲劇の悪循環になる。悪循環を断ち切るような思想を伝えられればいい」と作品に込めた思いを語った。

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 沖縄初の芥川賞作家・大城立裕さんが27日、他界した。享年95。歴史、文化に根差し、描いてきた沖縄の自画像はどのようなものだったのか。大城さんや関係者の言葉で紹介する。

不平等訴え対話求める 県内上演、期待広がる

 壇上の大城立裕さんがマイクを握った。2011年10月、米ハワイ州で「カクテル・パーティー」の戯曲が初めて上演された後、作者として観客からの質問に答えた。米兵が犯した事件・事故についての不平等な扱いが作品に登場することを踏まえ、鑑賞した観客から「今でもあるのか」との質問が出た。大城さんは「あります」と即答し、日米地位協定に基づく不平等を訴えた。

「カクテル・パーティー」の戯曲を朗読劇として初めて舞台上演する出演者ら=2011年10月、米ハワイ州のハワイ沖縄センター(古堅一樹撮影)

 帰沖後、大城さんは当時を振り返り「日米地位協定で実質的には不平等が残っていることを話す機会ができてありがたかった」と作品と合わせて思いを伝えられた機会に感謝した。

 琉球併合(琉球処分)、沖縄戦、米統治、日本への復帰、現在も続く過重な基地負担など、何度もの世替わりを経験した沖縄。戦前の皇民化教育を受け、戦争や米統治下を経験してきた大城さんは、そうした沖縄の歴史、文化を題材にしつつも、世界に共通する理念を作品に織り込んできた。

 ハワイで初めて上演された「カクテル・パーティー」の戯曲だが、沖縄での上演はまだ実現していない。演出家の幸喜良秀さんは、大城さんが書いた新作組踊や沖縄芝居などの作品を何度も舞台化してきた。「カクテル・パーティー」の戯曲についても、沖縄で上演したい思いを持っていると明かす。27日、訃報に接した幸喜さんは「大城先生の仕事は縦横、奥行きがあり、一言では話せない」と話し、間を置いた。海外でも新作組踊や戯曲を上演し成功してきたことを踏まえ「大城先生の作品は世界のいろんな人たちに見せて受け入れられることは実証済みだ。作品を舞台化していくことが恩返しだ」と上演を実現させたい思いを語った。

 戯曲「カクテル・パーティー」の英訳やハワイでの公演に協力した前名桜大学学長の山里勝己さんも県内での上演に期待を寄せ「普遍的なテーマだ。(ハワイで上演した)英語の朗読劇を沖縄に住む米国人にも見てほしい」と話す。大城さんが作品に込めた思いについて山里さんは「大城先生が期待したように対話を続けることだ。互いの内面を見ながら対話を続けていく。対話を続けていくことで相互理解が生まれる」と期待を込めた。

(古堅一樹)