大龍柱向き再検討へ 首里城討論会 復元委・高良氏が言及


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首里城再建に向けて活発な議論が交わされた「首里城再興に関する公開討論会」=22日午後、那覇市おもろまちの県立博物館・美術館

 首里城再建への課題や論点を議論する「首里城再興に関する公開討論会」(首里城再興研究会主催)が22日、那覇市の県立博物館・美術館で開かれた。国の「首里城復元に向けた技術検討委員会」委員長の高良倉吉琉球大名誉教授は、首里城正殿の大龍柱の向きについて「新しい事実など、さまざまな資料を突き合わせ、技術検討委などの場で検討していくことになるだろう」と述べ、大龍柱の向きを再検討する考えを示した。

 1877年にフランス人が撮影した首里城の写真では、正殿の大龍柱が正面向きだった。技術検討委ではこれまで、相対(横)向きの予定で作業を進めてきた。
 1877年の写真はフランスの巡洋艦で那覇港に寄港した海軍中尉ジュール・ルヴェルトガが撮影したとされる。神奈川大学の後田多(しいただ)敦准教授(琉球史、日本近代史)が14日に開かれた琉球民族独立総合研究学会のシンポジウムで発表した。
 この写真に関連し、高良氏は22日の討論会で、新たな資料として同艦のフランス人が首里城を訪問した際の記録とみられる、尚家文書「御書院日記」(那覇市歴史博物館所蔵)の記述を紹介した。同日記には、1877年の写真撮影時と同時期に、フランス人の一行が日本の明治政府の役人と一緒に2日連続で首里城を訪問し、琉球側が北殿で茶や菓子でもてなしたことが記されている。
 写真を撮影したことについて記述がないが、高良氏は「(1877年の写真と一緒に)紹介されている紀行文と一致、符合する琉球側の記録だ」と、フランス人の一行が同時期に首里城を訪れたことを裏付けているとした。