旭琉会抗争30年「死んでも骨を掘り起こす」 同僚を亡くした沖縄県警、執念の捜査


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2人の警察官が殺害された現場で事件を振り返る稲嶺勇さん=20日、沖縄市胡屋

 「刑事人生で一番悔しい事件だった。執念の捜査を続けたのだが…」。暴力団の凶弾で同僚警察官2人を失った、元県警刑事部長の稲嶺勇さん(77)は、今でも後悔の思いが消えない。実行犯の一人の受刑者=殺人罪などで服役中=を立件できたが、犯行を指示したとされる又吉建男容疑者(71)はいまも逃走中で死亡した可能性が高いとされている。「この手で逮捕できていれば」。事件を振り返る稲嶺さんは自責の念を抱き、拳を強く握り締めた。

 稲嶺さんは事件発生当時、県警本部捜査一課の刑事指導官を務めていた。1990年11月23日深夜、けたたましい緊急無線が流れると、本庁舎建設中で仮設のプレハブだった県警本部は一気に緊張感に包まれた。「まさかや」。誰もが言葉を失った。

 目撃者の情報などから、現在服役中受刑者がすぐに捜査線に浮上した。任意同行を求めると供述はしどろもどろで、先祖の墓でざんげしたことも明かした。血で血を洗う報復合戦。一般市民にも被害者が出る中、県警が事件を指示した者がいるとみて捜査を進めると、又吉容疑者の存在が浮上した。又吉容疑者を一度、任意同行したが関与を否定。その翌日、同容疑者は姿を消した。

 その日から県警の全身全霊を懸けた捜査が始まった。刑事部から優秀な捜査員を選抜し、追跡班を結成した。又吉容疑者の動向を知る可能性のある本土系暴力団の元にも、危険を承知で向かわせた。又吉容疑者が関西地方に潜伏していた際には、逃走に使用した車両の割り出しにも成功した。高速道路の利用履歴なども調べ上げ「又吉の生活圏を、確実に捉えていた時期もあった」(稲嶺さん)。

 だが、又吉容疑者は県外組織の援助も受けながら県警の追っ手をまいた。最後に確認できた足取りは2000年10月に、京都府の病院を他人名義の保険証で受診したことだった。脊髄にまでがんが転移した末期症状だった。

 「首を取るか、骨を拾うか」。稲嶺さんは「県警の全員がそう思っていた。死んでいても骨を掘り起こす。事件は解決しないが、それが仲間を失った県警の威信だ」と強調する。事件から30年たった現在も、後輩である現役捜査員たちが捜査を続けている。