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沖縄戦の暗部 平和の糧に ジャーナリスト・映画監督 三上智恵さん〈ゆくい語り 沖縄へのメッセージ〉34


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三上智恵さん=5日、那覇市泉崎の琉球新報社(ジャン松元撮影)

 沖縄戦で本島北部の少年兵が遊撃戦や秘密戦と呼ばれたゲリラ戦に組み込まれた史実を丹念に追った、衝撃的なドキュメント映画『沖縄スパイ戦史』で多くの賞に輝いた。三上智恵さん(56)は、映画に盛り込めなかった証言もつぶさに記録した『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社新書)を著し、昨年12月、第7回城山三郎賞を受けた。

 沖縄戦の教訓や基地問題の深層を照らし出し、揺らぎつつある平和を再構築する糧にすることを目指す作品群は多くの共感を呼んできた。書籍化の意図について、「沖縄戦の暗部である裏の秘密戦の構造を理解した上で、今直面する危うさを知り、将来の平和の糧にしてほしい」と語る。つらい記憶のふたを開けた制作者としての責任と覚悟を自覚し、「沖縄」を撮り続ける。

     ◇   ◇

 毎月1回の大型インタビュー「ゆくい語り」の第34回は三上智恵さん(ジャーナリスト、映画監督)に登場してもらった。

「秘密戦」掘り下げ、証言者と共に歩む​

 

 ―在阪局から琉球朝日放送(QAB)のキャスターに転じた1995年9月に米兵による少女乱暴事件が起きた。三上さん、QABの基地報道は現場主義に徹した印象がある。

 「95年は人生の分岐点だった。自分も被災した阪神・淡路大震災の後、いろいろな価値観が崩れた。毎日放送に籍を置き、多くの死体が横たわる現場で取材する中、1週間後、3カ月後に私が死ぬなら何に打ち込みたいかを考えた。ライフワークにしていた沖縄に行きたいという答えしか浮かばなかった。そんな時にQABからメインキャスター就任の話をいただいた。記者は少ないが、基地報道では負けないをカラーにしようと意気込み、『どの局よりも早く現場に着き、最後に離れるまで取材する』という気迫が全員にあった」

映画「沖縄スパイ戦史」に出演し、護郷隊について証言した瑞慶山良光さんが69人の戦友をしのんで植えた桜を見る会で、書籍の「沖縄スパイ戦史」を贈る三上智恵さん=2020年2月1日、大宜味村上原

本質が伝えられなかった 先島への自衛隊配備問題

 

 ―沖縄戦と基地問題が地続きだという感覚はあったか。課題は何か。

 「12歳で初めて沖縄に来て以来、沖縄戦のことをずっと考える風変わりな少女だった。沖縄戦と占領があって米軍基地に組み敷かれた史実は分かっていても、基地従業員として働く人がいるなど県民の利害が絡む基地問題は難しいからと、平和学習でも切り分けられ、報道現場でも基地の現状と沖縄戦がうまくつなげられていないことに気付き、もどかしかった。そこをつなげる報道をずっと模索していた」

 ―「標的の村」以来の秀作群は多くの賞を受けた。フリーの監督としてドキュメンタリーを撮り続けるエネルギーはどこから湧くか。

 「2012年にオスプレイが配備された時、敗北感に襲われた。日本政府が配備を隠し続けたオスプレイは沖縄に対する欺瞞(ぎまん)の象徴。二度と不幸を繰り返すまいと少女乱暴事件を受けてがむしゃらに走った17年は無駄だったのかと。お年寄りから沖縄戦の話を聞くたびに、生き延びた罪悪感と、せめて基地を一つでもなくしたいという切実な声を聴く。あの世で75年ぶりに再会する人たちに『まだ、沖縄は基地の島だよ』と言わせてしまうのは耐え難い。その悔しさが原動力の一端かもしれない」

名護市辺野古の新基地建設現場の海辺で、移設反対を訴え続ける住民の座り込み抗議が10年を迎え、現場で住民に話を聞く=2014年4月19日、名護市辺野古

 ―映画「沖縄スパイ戦史」制作を思い立ったのはなぜか。記録を増補して書籍化した狙いも聞きたい。

 「2015年から先島への自衛隊配備を追ったが、米軍基地問題と比べ、配備の本質が伝えられず、メディアの報道はぬるかった。既に先島では、賛否を巡る個々の住民の情報を自衛隊の情報機関が集め、リスト化する動きなどがあった。75年前の沖縄戦で日本軍が作ったスパイリストの再来に思えた。攻撃能力を持つ自衛隊配備は、沖縄だけでなく日本全体が米軍の対中国戦略の防波堤にされることを意味する。それをテーマに制作した『標的の島 風かたか』は興業的にも成功したが、本土の観客から『沖縄は大変ね』と、人ごとのように言われ、落胆した。あなたの服にも火がついているよ、と言っているのに、大変なのは沖縄と限定したい人たちの目を覚ますには、なぜ軍隊が住民を守れなかったのか、沖縄戦の実相を伝えるしかない、と『スパイ戦史』制作を目指した」
 「沖縄戦当時、本島北部や離島で展開された陰惨な秘密戦は知られていない。北部の少年たちのゲリラ部隊である護郷隊に迫ることで、なぜ住民がスパイ視されたり虐殺されたりしたのか、どう加担させられたのかなど、被害者のはずが加害者にもなって行く悲劇が理解しやすくなる。そこに軍隊と共存する本当の恐怖がある。沖縄戦の暗部である裏の秘密戦の構造を理解した上で南西諸島が今直面する危うさを知ってもらい、軍事組織を増やして安心したい、強い国がいいという国民の目を覚ます良薬になる本を残したかった」

孤立させない取材手法 次の世代を救う教訓に

 

 ―仲間内の監視など、加害性も帯びた秘密戦の内実の証言をどう集めたか。信頼関係はどう築いたか。

 「密告者が地域や身内にいるなど加害側に立ってしまった人が存命中は厳しかったが、戦後70年余が経過し、証言しても地域に禍根を残すリスクが小さくなった面はある。罪を裁くために来たのではなく、封印された悲しみを解き放つために来たというスタンスを基本に、取材の意図を丁寧に伝え、他の方の証言で明らかになった史実を織り交ぜ、証言者の不安を取り除き、孤立しないよう、橋をいくつも架けるような手法を心掛けている。つらい話を忘れられるはずはないが、『もう忘れて楽になってください。私が覚えてるから。私が引き受けて未来を救う教訓にしますから』という覚悟で取材した」

自身で編み上げた琉球パナマ帽を被って城山三郎賞の贈呈を受けた=2020年12月22日、埼玉県内

 ―陸軍中野学校出身で護郷隊を指揮した青年将校らの足跡を追い、住民監視や虐殺への関与だけでない人間性に迫ったのはなぜか。

 「『軍隊は住民を守らない』が沖縄戦の教訓であり、私もずっと住民側の目線で取材してきた。でもそれだけでは分からないことも多い。近代日本の戦争で、15歳前後の少年が最前線でゲリラ戦、白兵戦に従事した事例は護郷隊だけだ。その沖縄の少年兵の視点で見れば、日本軍のイメージも、軍にとって住民がいかに厄介な存在であるかも、見え方が違ってくる。そして戦後、戦死した少年兵の家で手を合わせ、慰霊し続けた隊長らへの信頼も理解できる。護郷隊の幹部以外でも、実際に住民虐殺に手を染めてしまった兵士たちの肖像は、追うごとに先入観を打ち砕かれた。彼らは鬼に生まれついたわけではない。彼らを鬼にしたシステムこそが解明されるべきだと思った。国民を守ろうと正義に燃える青年を虐殺者に変えていくシステムが今後再起動しないか。それを見張るためには、沖縄戦はもっと学ばれなければならない」

 ―組織と個人の問題、人間の在り方を究めた城山三郎氏を冠した賞を受けた意義をどう受け止めるか。

 「軍国少年だった城山さんも海軍で戦争末期の狂気の作戦に加わり、軍隊の奈落を見たという。知己を得ている娘さんに『父が生きていたら、きっとこの本を選ぶ』と言われ、うれしかった」

 ―三上さんに加え、元QABの土江真樹子さん、OTVの平良いずみさんら沖縄発のドキュメンタリーの優れた制作者に女性が多くいる。

 「女性はいい意味でしつこい。男性は特ダネを取ってビールで乾杯したいタイプが多い気がするが、女性はすぐ解決策を見いだせない問題に向き合う胆力がある。ドキュメンタリーに向いていると思う」

(聞き手 編集局長・松元剛)

みかみ・ちえ

 1964年東京都生まれ。87年毎日放送に入社。95年、琉球朝日放送の開局時に沖縄に移住。キャスターを務めつつ、多くのドキュメンタリーを制作。2010年、放送ウーマン賞を受賞。監督した「標的の村」(13年)は19の賞を受けた。14年からフリー。18年公開の「沖縄スパイ戦史」は19年度文化庁映画賞など8賞を受ける。「証言 沖縄スパイ戦史」(集英社新書)は20年の日本ジャーナリスト会議賞、城山三郎賞を受ける。

 取材を終えて  

つらい記憶に寄り添う矜持

松元剛編集局長

 沖縄で起きてきた、起きている不条理を掘り起こす営みが、この国が危うい方向に向かうことに歯止めを掛ける―という強い信念を感じる。それが、立て続けに評価の高い秀作を生み出す三上さんの原動力だろう。使命感に突き動かされ、常にエネルギッシュだ。一体いつ休んでいるのだろうかとさえ思う。

 少年たちをのみ込んだ護郷隊による「ゲリラ戦・スパイ戦」の暗部をえぐり出した功績は大きい。取材について聞くと、「次の世代への教訓にするため、私が重荷を少しでも受け取って全力で走るから、(証言者が)一人で抱えて苦しまないでほしい」と繰り返す。つらい記憶をたどる証言者と共に歩む覚悟と当事者性、制作者の矜持(きょうじ)が強い絆を育んでいると感じる。

 「沖縄スパイ戦史」(集英社新書)は大著だが、コロナ禍の今こそ、一読をお薦めしたい。

(琉球新報 2021年1月11日掲載)