【特報】米軍、復帰前の沖縄で化学兵器庫を増設計画 大浦湾など候補に 知花の毒ガス移送前


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【特報】米軍、復帰前の沖縄で化学兵器庫を増設計画 大浦湾など候補に 知花の毒ガス移送前
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【中部】米軍が1960年代に、毒ガスを貯蔵していた知花弾薬庫(現在の嘉手納弾薬庫)とは別に、県内で化学兵器を保管する弾薬庫の建設を計画していたことが、10日までに明らかになった。我部政明琉球大名誉教授が入手した米公文書に記載があった。県内では久志村(現名護市)の大浦湾地区をはじめ、本島内の各地や離島が候補地に挙がっていた。計画を検討した米陸軍省は、政治的な問題が生じることを避けるため、弾薬庫の増設を見送った。 (下地美夏子)

政治問題化懸念、見送り

 沖縄で化学兵器の貯蔵が進められたことについて、我部氏は「他の地域では反発が予想されるが米統治下の沖縄であれば、米軍に都合の良い形での貯蔵が可能だと見越していたのだろう」と指摘する。計画からは沖縄を重要な軍事拠点と位置付ける一方で、住民生活を軽視する姿勢が見える。

 沖縄には63~65年に3回に分けて、約1万3千トンの毒ガス兵器が搬入された。知花弾薬庫の「レッドハット地区」に貯蔵され、第267化学中隊が管理した。

 66年10月4日付の米陸軍省文書によると、当時、レッドハット地区には52棟の弾薬庫に1万5678トンの化学兵器を貯蔵していた。これに加え、在韓米陸軍第8軍の化学兵器を沖縄に移送することを決定し、新たに23棟の弾薬庫建設が検討された。

 化学兵器の弾薬庫建設に先立ち、沖縄では通常型の弾薬を貯蔵する弾薬庫の建設計画があった。候補地は大浦湾地区や西表島、読谷村のボーローポイント飛行場、本部半島、本島北部地区、屋我地島で、大浦湾地区が適切とされた。

 化学兵器の弾薬庫建設は、通常型の弾薬庫の建設計画に抱き合わせる形で進められ、大浦湾地区が「実現可能性がある」とされた。本島南部、西表島、硫黄島、小笠原諸島、グアム、ハワイの検討も進められたが、沖縄以外の地域は「有毒な化学兵器を使用する軍事作戦において、太平洋軍の能力を著しく欠くことになる」としており、沖縄を重要な軍事拠点とみなしていたことが分かる。

 その後、陸軍省内部の検討で、大浦湾地区を含む沖縄で計画を進めれば「沖縄統治において政治的な問題を引き起こすと同時に、日本との間で困難な事態に直面する」として、計画は立ち消えになった。

 我部氏は、計画が見送られた背景に「米軍の強硬政策に対する、沖縄住民の不満の高まりがあった」と分析。「住民の抵抗を考慮しなければ、沖縄統治は長く持たないと懸念していた」と指摘した。

 69年には米紙報道で知花弾薬庫の毒ガス貯蔵が発覚、住民らは即時撤去を要求した。71年の米軍による毒ガスの第1次移送から13日で50年となる。
 

 毒ガス移送 1969年7月18日付の米紙ウォールストリート・ジャーナルによる毒ガス漏れ事故の報道を機に、美里村(現沖縄市)の米軍知花弾薬庫に約1万3千トンの毒ガス兵器が貯蔵されていたことが発覚した。その後、県内で毒ガス撤去を求める運動が展開された。毒ガスは2回に分けて撤去された。1次移送が71年1月13日、2次が7月15日~9月9日。弾薬庫から具志川市(現うるま市)の天願桟橋までの移送ルート沿線の住民多数が避難させられ、生活に大きな影響が出た。VXガス、サリン、マスタードガスの3種の毒ガスは、太平洋上の米領ジョンストン島に運ばれ処理された。

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