90歳おばぁ、閉店決めた心残りとは…広さ10坪、戦後沖縄と歩んだ「まちやー小」金城商店


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 【名護】名護市瀬嵩区の金城商店前にこのほど、「閉店のお知らせ」が貼り出された。終戦後間もなく先代の金城重四郎さん(故人)が始めた同商店を、嫁の英子さん(90)が見るようになって約50年。10坪前後の店内で日用雑貨や衣類、学校の体操着や文具、石油の量り売りなど村(集落)の生活に必要なありとあらゆる商品を扱ってきた。「閉店のお知らせ」を見た区民は「とうとうこういう日がきたか。寂しいな」と話し、「金城のおばぁ」の長年の労をねぎらった。

区民と一緒に新春区駅伝大会を応援する英子さん(左から4人目)=10日、名護市瀬嵩の金城商店前

 お知らせには「この度、1月吉日をもちまして金城商店は閉店いたします。開店以来、永きに渡り皆さまの温かいご支援のなか、営業してこれたことを厚くお礼申し上げます。皆さまのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。店主・金城英子」と記されている。

 新聞の取り次ぎも行い、家族で新聞配達もしていた。「医薬品販売業許可証」を取得して医薬品を扱い、薬局の役割も果たした。田舎では随分助かったという。

 店先のベンチは、日中は近所の“おばぁ”たちの茶飲み話、夕方はおっ父や“おじぃ”たちの酒飲み話の社交場となった。下校時に店先で宿題のノートを広げていた子どもたちにとっては、しーぶん(おまけ)をもらえる店がなくなる。田舎のまちやー小(小規模の商店)の風景がまた一つ消えていく。

村で当時としては珍しいオートバイにまたがる先代の金城重四郎さんと奥さん(いずれも故人)。後ろの看板が歴史を語る=撮影年月不明(金城商店提供)

 5年前にも店じまいを考えたが、区民の後押しや金城商店でしか買い物をしない人もいて、なかなか踏ん切りがつかなかったという。英子さんは「この50年余りほぼ年中無休でやってきたため、村の行事にほとんど参加できなかったのが一番の心残り」と語り、「残り少ない時間だが、娘たちとちょっとした旅行でもできればいいんだがねぇ」と話した。

(嶺井政康通信員)