prime

白血病治療、副作用で車いす生活…病越え「命の大切さ伝えたい」 沖尚高3年・片山祈実香さん<ここから 明日へのストーリー>下


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
親友のリュウ・キンイさんと談笑する片山祈実香さん(手前)=12月、那覇市国場の沖縄尚学高校

written by 吉原玖美子

 白血病と診断され、1年にわたる入院生活を乗り越えて沖縄尚学高校に進学した片山祈実香(きみか)さん(18)は、通院治療を続けながら海外研修を目指し、充実した日々を過ごしていた。

 高校では、社会貢献活動の一環として、ボランティアにも取り組んだ。自分に何ができるか考えていた時に、頭に浮かんだのは、森川特別支援学校の院内学級に通う子どもたちの姿だった。治療中の子どもがカテーテルを誤って引き抜かないように、保護者が布でカテーテルカバーを一つ一つ手作りしていた。「親の負担を少しでも減らすことにつながれば」。沖縄尚学のクラスメートに提案し、カバー作りに取り組んだ。

 高校に進学し1年が過ぎようとしていた2019年3月、再び体に異変を感じた。膝の痛みが続き、受診すると、全身の骨が壊死(えし)する多発性骨壊死と診断された。白血病の治療のために投与されたステロイド剤の副作用だった。化学療法を終えて1年後の発症だった。症状などがなくなる寛解状態は間近だと思っていた。それだけに「なぜ今なのか」と驚いた。

 2年の始業式、松葉づえだった。6月には念願だった短期の海外研修でシンガポール行きが決まっていた。膝の痛みは引かない。医師は、このままでは骨が砕けると言った。予期せぬ車いすの生活が始まった。

 5センチの段差は容易でなくなり、エレベーターを待っていると割り込まれたこともあった。車いすを利用して、それまで見えなかった暮らしの不便さに気付くようになった。研修先のシンガポールには母親が同行した。

 滞在は5日だったが、印象的な出来事があった。車いすで段差を乗り越えられないでいると、居合わせた現地の人が手助けした。その接し方は障がいの有無に関係なく、自然体と感じた。帰国後、それらの体験や闘病をエッセーにまとめ、こうつづった。

 「日本では『社会的弱者』という言葉が公の場でも使われます」

 「障がい者はかわいそうという考えが日本人の大半に根付いているとわかります」

 「障がい者は自分を特異な存在だと思われたくはありません」

 「差別をされたくないという気持ちは、誰にでもあるはずです」

 全国から公募された「愛恵エッセイ」で、片山さんの作品は最優秀賞に選ばれた。

 約1年間の通院治療が終わり、7月に完全寛解とされたが、車いすの生活は続く。病に苦しみ、多くの気付きもあった。

 大学に進学し、医療現場にも活用されている人工知能(AI)について学びを深めることが今の目標だ。

 同級生や恩師らと夢を語り合った校舎での日々は残りわずかだ。「病を乗り越えた自分だからこそ、命の大切さを伝えたい。今、苦しんでいる子の希望になりたい」。14日、高校の卒業式を迎える。