10年近く休部、雑草生えたグラウンド…「復活」支えた歴代指導者<具商センバツ 支えを力に>上


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 第93回選抜高校野球大会(3月19日から13日間・甲子園球場)に、21世紀枠で出場を決めた具志川商。春、夏通じて初の甲子園となる。21世紀枠での県勢選出は2001年の宜野座以来。4強入りを果たした前回の宜野座に続けと、地元の期待は高まる。OB、保護者、地域が一丸となって選手を支える様子は期待感の表れだ。具志川商ナインを支える陰の立役者たちに迫る。

 「人生で一番うれしい電話でした」と選抜出場決定の瞬間を振り返るのは、同校を実力校に育てあげた喜舎場正太監督(33)だ。自身も具志川商で甲子園を目指し、汗を流した選手の一人だった。5種の変化球を操るエースとして、3年時には26年ぶりに夏の大会で初戦突破を果たし、3回戦まで進んだ。

現役時代は技巧派エースとして、チームを支えた喜舎場正太監督。写真は第54回県高校野球秋季大会1回戦の糸満戦=2004年9月、奥武山野球場

 当時、監督だった池宮城朗・現宜野湾高教諭(60)は初の甲子園出場について「僕が達成できなかったことを、正太たちが引き継いでやってくれてすごく感慨深い」と目を細める。

 当時、なかなか県大会で勝ち上がれず、同校の野球部関係者から「強いチームを作り上げてほしい」と誘いを受けたこともあり、中学校から異動し池宮城さんが監督を引き受けた。グラウンドは雑草が生え、ダイヤモンドやブルペンの形もない。「野球ができる環境じゃなかった。校内はポイ捨てや異臭もして、これじゃ生徒は集まらない」。重機で草を刈り平地にし、廃棄物の山をのけてどうにかブルペンを設置。校内美化にも部員らとともに汗を流した。

 そんな中に入ってきたのが喜舎場さんらの代だった。環境を整え、いざ練習に励むと入部希望が増え、如実にレベルも上がっていく。「正太を中心に良い選手が来てくれて、県大会で8強入りしたこともあった」。学校生活では、県内商業高で唯一実施する、模擬株式会社「具商デパート」で喜舎場さんが“社長”に就任するなど、野球部を中心に「学校が盛り上がり雰囲気ががらっと変わった」。

 77年の学校創立と同時に発足した野球部は、一時休部していたこともあった。89年度、05年度と2度赴任し、当初は監督を務めた當山清実さん(54)=兵庫教育大大学院教授=は「最初に赴任した時、10年近く休部状態で、なんとか復活させたくて生徒を集めた」。部員をかき集め89年の秋季大会で、7年ぶりの大会出場を果たした。最初に赴任した際は、1年で異動となり後ろ髪を引かれる思いだったという。

秋季九州大会準々決勝 母校の後輩たちを甲子園に導いた喜舎場正太監督=2020年11月、長崎県営野球場

 2度目の赴任で、池宮城さんらがチームを一つにまとめ、県大会で活躍する姿を目にした時「野球部の成長の過程を見てるようで、生みの親のような気持ちになった」と部の再建を心底喜んだ。

 今も当時と変わらぬユニホームと帽子を着け躍動するナインに「甲子園には当時のウインドブレーカーを着けて応援に行く予定です」と球場で会える日を心待ちにしている。

(上江洲真梨子)

 

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