「風と共に去りぬ」を考える 無自覚な人種差別 男女同権の目覚めに功績<アメリカのつくられ方、そして今>


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 学生の頃「風と共に去りぬ」の小説に感動し、映画に圧倒された。原作者マーガレット・ミッチェルのアトランタの家を、念願かなって訪ねたのは15年前。ピュリツァー賞を受け、2800万部売れた世界的ロングベストセラー作家の家は意外にこぢんまりとして、ミッチェル氏の質素でつつましやかな日々が垣間見られ感銘を受けた。

 映画「風と共に去りぬ」は、1938年に製作費150億円、3年の歳月を費やして制作され、アカデミー賞の作品賞をはじめ8部門で賞を獲得した。昨年のブラック・ライブズ・マター(BLM=黒人の命も大事だ)運動の最中、「それでも夜は明ける」でアカデミー賞脚本賞を受けたジョン・リドニー氏は、その名作が奴隷制度を正当化し、有色人種に対するステレオタイプを不朽のものにしたとして配信停止を訴えた。

 同作品は、人種差別の映画なのか数十年ぶりに鑑賞してみた。登場する黒人の召し使いらが、奴隷の扱いを受けながらも幸せな存在として描かれているのは、史実に反すると批判されている。オハラ家の農園主の妻エレンは黒人乳母のマミーに絶対的信頼を寄せ、マミーは女主人を尊敬し、世話係としてスカーレットのわがままに有無を言わせない威厳ある態度で苦言を呈するくだりは痛快である。当時、農園主にはオハラ家のように黒人らに家族のように接する良心的な一家もいたはずだ。

 原作は白人至上主義KKKを肯定し、奴隷制度が残酷なものだった事には少しも触れず、白人目線だと非難されている。だがミッチェル氏は、単に人種差別的問題には無自覚であったように思う。沖縄の若者に「沖縄に米軍基地が集中しているのをどう思うか」と聞くと「別に何とも思わない」と答える感覚と似ている気がする。あって当たり前の事に関し、深く知ろうとしなければその状況に無感覚になるのではと思う。

 さらに彼女の小説は、逆境にも負けずたくましく生きる女性の生きざまが趣旨なので、わざわざ人種差別を取り上げる必要はないだろう。黒人教育機関に熱心に寄付を続け、長年仕えたメイドには遺産相続をしている彼女は、人種差別意識はなかったはずだ。女性が世間や常識にとらわれず、自由な生き方ができる姿を発信する事によって、多くの女性に男女同権と性差別のない社会への意識を目覚めさせた、ミッチェル氏の功績は大きい。

 そして同映画のユダヤ人プロデューサー、デービット・セルズニック氏は「原作にある黒人の感情を逆なでする事や侮辱的な表現を避けた。ユダヤ人の受難を思うと黒人に同情せざるを得なく彼らの痛みがよく分かる」と語っている。黒人俳優らの微妙な立場に気を使い全体的に配慮された映画だと感じた。

 だが黒人目線からは当時の南部の豊かさは非人道的な奴隷制度の上に成り立ち、その時代を白人らが「古き良き時代」とノスタルジックに描かれる事に不快感を覚えるはずだ。ならば逆にその事を提起するだけでも配信の価値ありなのではと思う。

 配信会社HBOMaxは「風と共に去りぬ」を「当時のフィルムメーカーからの視点で語るものであり、わが社の価値観を表明するものではない」と注釈を加えて、再び配信する事となった。

(鈴木多美子、バージニア通信員)