沖縄の本土復帰願い大阪―西鹿児島を走っていた特急「なは」、今はどうなっている?


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香川県観音寺市に移送された寝台特急ブルートレイン「なは」(右)。左は2人用個室のあるデュエット車両=4月18日、香川県観音寺市(岸井正樹さん提供)

 沖縄が米統治下にあった1967年に名称を募集し、本土復帰を願って翌年「なは」と名付けられた寝台特急ブルートレイン。旧国鉄が68年10月から大阪―西鹿児島間で同列車の運行を開始し、ダイヤの改正や車両更新を経て、多くの利用者に愛されながら2008年に運行を終えた。鉄道から引退したものの、実は今も香川県観音寺市でその姿を見ることができる。鉄道好きの岸井正樹さん(60)=香川県=らが21年、廃止後の車両を移送、保存した。現在、宿として生まれ変わらせようと計画している。

 廃止後の車両は鹿児島県で約7年、雨ざらしの状態になっていた。岸井さんは「沖縄復帰の前、私が小学校高学年のときに、岡山県で『なは』が走っているのを初めて見た。かっこよくて憧れた」と振り返った。

 名称は、琉球新報社が1967年に「本土に沖縄名の列車を走らせよう」運動を実施して募集した。県内外から5211通の応募があり、「おきなわ」「なは」「しゅり」「でいご」「ひめゆり」の候補から、国鉄の列車愛称選考会が「なは」に決定した。

 「なは」は昼行列車として68年に運行を開始した。72年5月15日に沖縄が本土復帰した後も名称は引き継がれ、やがて寝台特急に変わった。九州新幹線が開通した2004年には新大阪―熊本、翌年には熊本―京都に運転区間を変更。08年3月14日発の運行を最後に、廃止された。

 1975年に開幕した沖縄国際海洋博覧会に、岸井さんは母親と行ったことがある。「乗ることはかなわなかったが、思い入れが強くてどうしても保存したかった」。岸井さんと妻の弓子さん(56)はクラウドファンディングで保存のための資金支援を呼び掛け、2回の募集で約1700万円を集めた。その資金で、香川県観音寺市のロープウエーの山麓駅駐車場に車両を移送し、4月18日に無事設置された。

 現在、割れたガラスやはがれた塗装の修繕などをしている。「再び多くの人に愛される車両にしたい」と、今年中に宿にする計画だ。「沖縄の人にもぜひ見てほしい」と話した。 (嘉数陽)

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