「那覇=なは」はいつから? NHKが決めた?


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那覇市のメーンストリート・国際通り=2020年2月

 沖縄の県都・那覇市が20日で市制施行100年を迎える。かつては琉球王国の玄関口・商都として栄え、「琉球処分」や沖縄戦、日本復帰などを経て復興と発展を遂げた。

 那覇という地名は漁場を意味する「なーば」に由来するとの説がある。古くは17世紀の資料「喜安日記」に那覇という地名が登場する。

 那覇は東村(現那覇市東町)、西村(現那覇市西)に分かれ、泉崎、若狭町を含めて「那覇四町」と呼ばれるようになった。廃藩置県後に那覇役所が設置され、那覇の区域が広がった。

 漢字は「奈波」などの表記もあったが、17世紀には「那覇」に固まりつつあったという。那覇市歴史博物館の外間政明学芸員は「見た目や意味の良さで決まったのではないか」と推測する。

 那覇市制50周年記念誌によると、「なは」という発音は1934年に日本放送用語審査委員会が決めた。だが外間さんは「『なは』は県外からの呼び方で、戦前の沖縄では『なーふぁ』と発音していた。『なは』が浸透したのは戦後ではないか」と指摘する。

 戦前、那覇市と首里市、真和志村、小禄村、豊見城村を合併して「沖縄市」に改称する構想もあったが、実現しなかった。戦後の合併後の58年にも兼次佐一市長が「沖縄市」に改称し、那覇、首里、真和志、小禄の4区を置くことを目指した。旧那覇市民が改称を祝う大綱挽も計画し、市民の注目を集めた。59年に提出された改称の議案を巡って市議会は賛成、反対で紛糾し、結局否決された。