市歌に合併の軌跡 ラジオで流れた歌声の主「歴史伝える使命感じる」<那覇市制100年>


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 市制100周年を迎えた那覇市は、旧那覇市が首里市、小禄村、真和志市を合併して現在の都市になった。その過程は那覇市歌にも現れている。

 那覇市歌ができたのは1929年ごろとされている。安藤佳翠作詞、宮良長包作曲で、1~3番の歌詞には那覇港、奥武山、波の上の旧那覇3カ所の情景が盛り込まれた。2度の公募で追加地域の歌詞は決まらず、市は2015年になって那覇市歌選定委員会を発足。4~7番が追加された市歌を初披露したのは17年の市制96年式典だった。

 1~3番までの市歌は、1961年から2015年までラジオ広報番組「那覇市民の時間」で使われた。歌声は、当時小学6年生だった比嘉悦子さん(73)=NPO沖縄児童文化福祉協会理事長=と妹が、別のラジオ番組「沖縄メロディー」で収録したものだ。今も那覇市のホームページで聞くことができる。当時の音楽教諭、安谷屋長也さんのフルート伴奏も聞ける。

比嘉悦子さん

 戦後生まれの比嘉さんは、歌詞に出てくる旧那覇の情景を知らない。「当時は意味も分からず歌っていた」という。ただ、祖母から「あなたは波上祭の日(5月17日)に生まれた」と言われ、親しみを持っていた。叔母の結婚式が波上宮で開かれ、鳥居の前で親戚一同で写真を撮ったのを覚えている。

 子どもの頃、遊び場だった国際通りは現在、ビルが立ち並ぶ。1番には「弥栄えゆく わが那覇市」、3番には「理想の自治に進まなん 希望かがやく わが那覇市」と、戦前の希望が表れる。

 「当時、思い描いていた那覇市になっているのかな。今は復帰も知らない学生がいるので、歴史を伝えていくことの大切さ、使命を感じている」と話した。
 (稲福政俊)