「胸裂ける思い」犠牲になったいとこへ祈り 3年かけた「万羽鶴」対馬丸記念館に贈呈


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対馬丸記念館の職員へ自ら制作した万羽鶴を手渡す親泊良子さん(右端)=18日、那覇市の対馬丸記念館

 ウチナー芝居俳優として活躍した、県指定無形文化財「琉球歌劇」保持者の親泊良子さん(93)=那覇市=が18日、那覇市の対馬丸記念館を訪れ、自身で制作した万羽鶴を贈った。1944年8月22日、米軍潜水艦によって撃沈された対馬丸には、いとこの石原トミ子さん(当時12歳)が乗船し、犠牲となった。3年をかけて折った約1万2千羽の鶴に犠牲者への思いを込め、平和を願った。

 「胸の張り裂けるような思いで、何年になっても忘れません」。記念館に入ると流れている対馬丸の悲劇を伝える映像。親泊さんは「語り」として、子ども3人を失った母親の悲痛な証言に声を吹き込んだ。

 対馬丸撃沈により、疎開のため乗船した学童を含む1484人が犠牲となった。親泊さんは亡くなった石原さんとは、よく遊んでいた記憶があり、「3~4歳年下で、いつも朗らかな子だった」と懐かしむ。3年前にも千羽鶴を贈り、今回は2度目の寄贈だ。「いとこを含め犠牲になった子どもたちを思いながら、一羽一羽心を込めて折った」。同席した息子の康久さん(63)は「右手を痛めているが、それでも一生懸命折り続けていた」と語った。

 記念館を運営する対馬丸記念会常務理事で、遺族の外間邦子さん(82)は「親泊さんの深い思いと祈りをいただいた」と感謝した。館内には現在、396人分の遺影が掲示され「子どもたちに見える場所に展示したい」と話した。

 運営費支援募る

 記念館は緊急事態宣言を受け、20日まで休館している。新型コロナウイルスの影響で入館者は大幅減少した。記念会の高良政勝理事長が記念館存続への思いをつづった投稿記事や新聞報道を受け、県内外から支援が広がったものの、入館者数の減少で依然厳しい運営となっている。

 外間さんは「多くの支援に感謝したい」と語った一方、寄付などの支援を呼び掛けている。