菅氏と沖縄の9年 辺野古強行もハード事業を主導 露骨な「アメとムチ」


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米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古新基地建設に反対を訴えた故・翁長雄志元知事(右)と初会談に臨む菅義偉氏=2015年4月5日、沖縄ハーバービューホテル

 菅義偉首相は第2次安倍政権(2012~20年)の官房長官時代から沖縄への関わりを強めた。米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設を強行する一方、内政全般を取り仕切る立場から沖縄振興予算の3千億円確保や那覇空港第2滑走路の早期整備などを主導した。その手法は露骨な「アメとムチ」とも評された。菅首相が沖縄との関わりを強めた約9年間を振り返る。


【沖縄振興】ハード事業 相次ぎ主導

 2013年12月、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設を巡り、国が提出した埋め立て申請を県が承認するかに注目が集まった。当時の安倍政権は同12月24日、「第5次沖縄振興計画(12~21年度)実施期間の沖縄振興予算を毎年3千億円台確保する」と閣議決定した。仲井真弘多知事(当時)はこの決定直後の27日、国からの埋め立て申請を承認した。

 歴代最長を記録した第2次安倍政権で一貫して官房長官を務めた菅義偉氏は、水面下での仲井真氏らとの交渉を一手に取り仕切った。新基地建設の行政手続きを進めたことで、菅氏は沖縄への関与に自信を深めていく。仲井真氏は那覇空港第2滑走路の早期建設も要望し、菅氏の指示で工期短縮が実現したとされる。14年9月の内閣改造では、官房長官と、新設された沖縄基地負担軽減担当相を兼任した。

 首相就任後の21年1月の施政方針演説では、国道58号「名護東道路」について言及した。同道路は新基地が立地する北部地域への振興策の一環として、菅氏の肝いりで工期が短くなったとされ、延伸も示唆されている。一方で、新基地建設に反対する翁長雄志前知事が就任した15年度以降、沖縄関係予算は減額傾向が続いている。内閣府は2022年度の概算要求額を2998億円とし、22年度当初予算は10年ぶりに3千億円を割る見通しとなっている。

 菅氏は官房長官時代の20年9月、沖縄振興と基地の「リンク論」について「基地問題対応と振興策を総合的に推進する。その意味で両者はリンクしている」との認識を示した。


【基地問題】辺野古新基地に執着

 菅義偉首相は官房長官時代の2014年9月から6年間、沖縄基地負担軽減担当相を兼務した。沖縄の基地問題に執着し、官邸主導で名護市辺野古の新基地建設を推し進めた。新基地反対の民意を示す選挙結果を幾度となく突き付けられながら、辺野古移設を「唯一の選択肢」「(埋め立て工事を)粛々と進める」と繰り返し、県民世論の反発を招いた。

 官房長官時代に面談した翁長雄志知事(当時)は住民自治を軽んじて基地を押し付ける姿勢を、米統治下の沖縄で圧政を振るったキャラウェイ高等弁務官に重ねた。

 これに対し、15年9月の辺野古新基地建設を巡る県との集中協議で、菅氏は「戦後生まれなので沖縄の歴史は分からないが、19年前の日米合同会議の辺野古が唯一というのが私の全てだ」と言い放ったとされる。

 菅氏は首相に就いた後も、官房長官時代に自ら面会を重ねた仲井真弘多知事から得た埋め立て承認を盾に、辺野古の埋め立て工事ありきの姿勢を貫いた。今年7、8月に、防衛省は大浦湾のサンゴ移植を巡って県の許可撤回を覆してまで夏場の移植を強行。内閣ぐるみで県を追い込む手続きの速さは、安倍政権の時以上だった。

 新基地建設を進めると同時に、キャンプ瑞慶覧の西普天間住宅地区(15年)や北部訓練場の半分(16年)を返還させ、跡地利用の実績づくりに励んだ。

 一方で、18年11月には米軍普天間飛行場の返還合意の経緯について「今から22年前に事故があり、合意された」と述べ、1995年にあった米兵による少女乱暴事件に触れないなど、基地負担軽減担当としての認識を問われる発言もあった。

 

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