J1昇格を影で支えたジュビロ磐田チーフマネジャー 北中城村出身の喜屋武雄一さん


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J2優勝を決めて喜ぶジュビロ磐田のコーチ、スタッフ陣。チーフマネジャーとしてチームを支えた喜屋武雄一さん(前列左から4人目)=11月28日、正田醤油スタジアム群馬(ジュビロ磐田提供)

 サッカーJリーグのジュビロ磐田で、チームを支える県出身者がいる。喜屋武雄一チーフマネジャー(37)だ。裏方の仕事が多く、縁の下の力持ち的な存在。「みんな選手を目指すと思うけど、こういう職業があることも知ってほしい」とやりがいと充実感をにじませた。チームは今季J2優勝、来季J1昇格を果たした。喜屋武マネジャーも選手らと共に感動を共有した。

 北中城村出身。沖縄カトリック中でサッカーを始めた。球陽高、東京学芸大卒。元々は教員を目指し、卒業後は3年間、静岡の高校で数学の非常勤講師として勤務。同時にサッカー部のコーチも務めた。

 磐田で働いていた大学の先輩の紹介で2012年からマネジャーとして働き始め、16年からチーフに就いた。主な仕事内容はチームのスケジュールの管理、アウェー戦でのホテル、移動手段の手配などだ。残り2人のマネジャーとチームを支える。

 名だたる選手らと身近に接し、刺激も大きい。2014年シーズン途中から監督に就いた名波浩氏、2018年から所属した中村俊輔ら「チームに来ることが分かり、おっ、と思った」と当初は興奮を抑えることができなかった。

 監督やコーチらと身近に接する中で、学ぶことも多い。「試合に起用するしないの基準を、監督はきちんと選手に説明し、コミュニケーションを取っている。プレーでもメンタル面でも、悪い状況が生まれそうになったら、大きく広がる前に先回りして対処していく姿勢がすごい」と語る。チームで働き始めてJ2降格を2度経験した。「チームが躍進を続ける時は、スタッフも含め、チーム一丸となってまとまっている」と断言する。

 「監督から1の要望があれば、その先に何が必要かを考え、5とか6で返すように心掛けている」とし、「明るく元気に、誰にでも自分から話し掛けることを心掛けている。失敗したら素直に謝ることが大事」と人なつっこく話す。

 「将来的には沖縄に戻ってサッカーに関わる仕事がしたい」と常に故郷を忘れず、日々の仕事に向き合っている。

 (大城三太)