いただいた名刺428枚に宿る思い 佐野真慈(宮古支局)


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written by 佐野真慈(宮古支局)

 247円。2008年、25歳だった私の全財産だ。大学4年生期の学費が足りず、授業や就活そっちのけ。卒業式も見送って港湾荷役で稼ぎ、2カ月遅れで完納させていただいた。残ったのは卒業証書とホームランバッターのような筋肉腕、子どものおこづかい程度の金だった。

 そんな小銭男が縁あって週刊レキオ記者から琉球新報記者となり、1年8カ月前に宮古支局長として島に赴任した。いただいた名刺は約2年で428枚。コロナ禍でなければさらに多かったであろう名刺を整理しながら、「この一枚一枚に込められた思いに応えられているのだろうか」とふと思った。

コロナ禍で生活必需品となったマスクと消毒液

 もちろん、ただのあいさつもあるが記者に名刺を渡す人の多くは「窮状を伝えてほしい」「ハレごとをみんなに喜んでほしい」「不正をただしたい」など、さまざまな願いと思いを託している。

 SNSの発達により、今や誰もが発信者だ。「新聞は斜陽産業だ」と言われて久しい。だが、少なくとも「新聞に書いて」と思いを託してくれた人がこの島に428人もいる。その背景には百倍の島民が期待しているのだと信じ、島の話題を広く届けるために小銭男は頑張ろうと思います。

(宮古島市、多良間村担当)


ゆんたくあっちゃー 県内各地を駆け回る地方記者。取材を通して日々感じることや裏話などを紹介する。