遺骨訴訟きょう判決 沖縄県内原告が26体を返還請求 昭和初期に京大が持ち出し 京都地裁


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今帰仁村の風葬墓「百按司墓」に納められていた木棺。修復され、村歴史文化センターに展示されている=12日

 昭和初期に旧京都帝国大(京都大)の研究者が沖縄県の風葬墓「百按司墓(むむじゃなばか)」から研究目的で持ち出した遺骨の返還を求めた訴訟の判決が21日、京都地裁で言い渡される。原告は琉球王家の子孫を称する沖縄県民ら。京大側は「県の許可を得た正当な収集だ」と反論し請求棄却を求める。

 今月中旬、記者が訪れた沖縄県北部の今帰仁村。百按司墓は、青い海が見える足場の悪い崖下にあった。洞穴にある墓の入り口は古びた石垣や木の板に閉ざされ、中には骨つぼや人骨のようなものも見えた。

 訴えによると、京都帝国大助教授だった人類学者の故金関丈夫氏が1928~29年、百按司墓などから遺骨を「盗掘」。原告側は、このうち京大が保管する26体の返還を求める。

今帰仁村の風葬墓「百按司墓」の前で、手を合わせる玉城毅さん=12日

 訴訟に関わっていない村歴史文化センターによると、百按司墓はかつて洞穴の中に木製の家型墓があり、木棺が納められていた。担当者は「洞窟などに遺体を安置する風葬の文化が始まった頃の墓ではないか」と推察する。

 複数の文献や木棺の装飾から、西暦1500年以前の沖縄北部の豪族か、その一族のものとみられる。担当者は「具体的な被葬者の特定は困難だ」とも付け加えた。

 原告は、うるま市に住む玉城毅さん(72)と亀谷正子さん(77)ら。1400年代に沖縄北部を治めた王家「第一尚氏」の子孫に当たるという。地域には慣習として、縁のある親族で百按司墓などを巡る祭礼「今帰仁上り(なきじんぬぶい)」がある。民法が「墳墓の所有権は慣習に従って承継する」と定める「祭祀(さいし)継承権」があるため、遺骨の所有権もあるとの主張だ。

 亀谷さんは「数百年前の人でも、大事な先祖。研究材料にされるのはつらい」。玉城さんも「遺骨も早く帰りたいと思っているはずだ」と話す。

 京大側は、遺骨と原告の関係性も明確ではない上、原告側の指摘する「慣習」が具体的な祭祀継承者を特定できるものではないと反論。「原告らは継承者に当たらず、返還請求権はない」と否定している。
(共同通信)