奄美復帰後の沖縄「非琉球人」と扱われた男性 差別からの解放「復帰」に求め 「屈辱の日」70年・海上集会


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
海上集会前、乗船前に空を見つめる青山惠昭さん=28日午前、国頭村の宜名真漁港(小川昌宏撮影)

 【国頭】父親が与論、母親が国頭出身の青山惠昭さん(78)=浦添市=は琉球大学の学生だった1964、65年に海上集会に参加し、祖国復帰の民意のうねりを体感した。28日には、2012年の海上集会再現に続き、北緯27度線の風を浴びた。復帰後も続く「差別的な基地の過重負担」の解消を願った。

 国頭で育った青山さん。母親が米軍施設で働いていたこともあり、事件・事故を起こした米軍関係者が基地に逃げ込めば捕まらない現実に、理不尽さを感じていた。

 本籍地が鹿児島県の与論のため、53年の奄美群島の復帰後、米統治の続く沖縄で「非琉球人」として扱われた。社会保障や選挙権が奪われ、在留許可証の携帯が義務づけられた。復帰運動に力を注いだ根底に、そうした被差別体験があった。72年の復帰時は「差別からの解放感」を味わったが、50年を経た今も沖縄は不条理の中にある。

 「沖縄の今を問い直し、国頭と与論が共に平和を願う気持ちを子や孫につなぎたい」と今回、4度目の海上集会に臨んだ。大学時代に身に付けた、沖縄返還を訴えるバッジを帽子に付けた。

 集会を終えて「平和な未来を目指す素晴らしい集会になった」と笑顔を見せた。沖縄が抱える不条理については「最大の原因は不平等な日米地位協定だ。日米両政府は民意を受け止め改定に向き合ってほしい」と語り、表情を引き締めた。

(岩切美穂)