<書評>『「米留組」と沖縄』 海外に挑んだ沖縄人の物語


社会
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『「米留組」と沖縄』山里絹子著 集英社・946円

 「米留組」と聞くと、沖縄の人なら、戦後沖縄で「親米エリート」「米軍の親衛隊」などと批判された人々のことを思い浮かべるだろう。「米留組」に対する沖縄社会の評価は、羨望(せんぼう)と嫉妬、敬意と軽蔑という相反する感情の間で揺れてきた。特に反米の嵐が吹き荒れる復帰直前の沖縄の「米留組」は、米国の軍事予算による留学の内定を取り消されないよう政治運動からも距離を置き、帰国後は米軍の手先となって、沖縄の統治に加担したと非難された。

 しかし、本書を読めば、「米留組」に対するこうした評価はあまりにも想像力に欠けた浅薄な理解であることがわかる。

 1949年から始まった米国陸軍省による米国留学制度で留学をした沖縄の若者は、70年までに1045人にのぼったという。著者はその中の40人近くの留学経験者から、それぞれの「ライフストーリー」を10年以上の年月をかけて丹念に聞き取っている。

 ある者は焦土と化した故郷の復興を担うという使命感から、またある者はただ学びたい一心から米留の道を選んだ。選択肢は限られていたとはいえ、自ら選んだのだ。親米的な沖縄人リーダーの育成という、米軍が米留制度に込めた企ては、その時点ですでにほころび始めていたのかもしれない。

 貧しい島から来た留学生にとって、アメリカはあらゆる点で圧倒的だった。しかし、国家が標榜(ひょうぼう)する「民主主義」とは矛盾する差別の現実も見た。公民権運動やベトナム反戦運動で、権力側ではなくマイノリティーに共鳴する意味や、沖縄人としての自覚と闘い方を留学生に教えたのもまたアメリカだったのだ。

 公的な記憶からはかき消されてしまいがちな個人の「戦後史」を米留学生の足跡にたどり、米留の意義を改めて考える上で復帰50年の節目は良い機会だ。しかし、「米留組」の物語は、故郷や自分の未来のために海外に挑んだ多くの沖縄人の物語の一つとして、次代を担う若者にこそ知ってほしい。著者のそんな願いには心から賛同したい。

 (喜納育江・琉球大教授)


 やまざと・きぬこ 1978年中城村生まれ、琉球大国際地域創造学部准教授。著書に「島嶼地域科学という挑戦」(共著)などがある。