沖縄の復帰式典は「お祝い」なのか?主催者の回答は…【WEB限定】


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 仲井間 郁江
沖縄県の旗と日本国旗(資料写真)

 5月15日に東京と沖縄で、政府と県の共催で開催される「沖縄復帰50周年記念式典」。沖縄が日本に復帰して50年目の節目の日に開かれる式典だ。沖縄県民はこの日をどういう気持ちで迎えるのだろう。日々ニュースで「復帰50年」の言葉が躍る中、4月下旬のある日、琉球新報社に読者から1本の電話がかかってきた。

「この式典はお祝いなのか」と。    

電話口の読者は、4月23日に「琉球新報デジタル」に掲載された【「政府批判控えて」石垣市長が玉城沖縄知事に要望 復帰式典巡り】の記事を読み、式典の位置付けが気になったという。記事では、石垣市の中山義隆市長が復帰式典について「せっかくのお祝いの式典なのに『沖縄はこんな時に何を言ってるんだ』と他都道府県から批判の対象となる」と述べたと報じている。

那覇のビジネス街とモノレール

 「式典はそもそも祝賀のイベントなのだろうか」。

 

1972年に日本に復帰した沖縄は、道路や港湾などのインフラ整備が進み、リゾート地として国内外から人気の場所となった。一方で、50年前の復帰時に多くの県民が願った「基地のない平和な沖縄」は実現されず、いまだに米軍基地が集中する実態は変わっていない。海を埋め立てての新たな基地建設が強行され、米軍基地に絡む事件・事故や環境汚染も後を絶たない。

 

琉球新報と毎日新聞が合同で実施した世論調査でも、復帰を「よかった」とする回答が9割となったが、基地が集中する現状は「不平等」との回答は6割となった。県民の中でも、復帰後の現状にはさまざまな評価がある。電話をかけてきた読者のように、「式典はお祝いなのか」という思いを持つ人もいるだろう。

 

そこで、式典を主催する政府(内閣府)と沖縄県に式典の位置付けを尋ねた。

 

■閣議の議題に

米軍基地建設のための埋め立て工事が進む名護市辺野古(上空から)=2022年3月撮影

 まずは政府(内閣府)の回答だ。「復帰式典はお祝い的な意味合いもあるのか」との質問に、「『閣議了解』にある通りです」と一言。

復帰式典について閣議で話し合ったのは3月8日。その日の閣議了解文書では次のように記されている。

「沖縄の本土復帰 50周年を記念し、国民全体として、復帰の歴史的意義を想起し、沖縄の歴史に思いを致すとともに、沖縄の一層の発展を祈念して、政府は、沖縄県との共催のもとに、下記により記念式典を挙行する」

復帰式典について確認した「閣議了解」

関連して、同日の閣議の議事録には西銘恒三郎沖縄担当相の発言も次のように記されている。「先の大戦で沖縄は一般住民を巻き込んだ苛烈な地上戦の舞台となり、県民は筆舌に尽くし難い苦しみを経験しました。また、戦後も、復帰まで27年を要し、県民は多大な苦難を経験しました。沖縄復帰は、沖縄県民そして国民全体の悲願であり、まさに国家的事業として実現したものです。復帰50年という大きな節目に開催される今回の式典が、沖縄の歴史に思いを致すとともに、未来を見据え、沖縄の魅力や可能性を内外に発信する機会となるよう、取り組んでまいります。」

 

閣議了解や沖縄担当相の発言には、「祈念」「想起」「発展」など 、過去の歴史へのまなざしと未来志向の文言がちりばめられているが、「祝う」「祝賀」などの文言はない。

 

ちなみに、英語での表記はどうなのか。英語版の式典招待状の記述を尋ねたが、内閣府は「日本語を英語に訳しただけです」「招待状そのものの文言はお見せできません」との回答だった。
 

■未来志向

沖縄県庁

 次にもう一方の主催者である沖縄県の見解はどうか。

県は式典の目的を「沖縄の本土復帰50周年という歴史的節目の年を記念するとともに、沖縄の一層の発展を祈念し、これまでの沖縄の発展のあゆみや将来の可能性を発信する機会」と回答した。県の公式ホームページにある記述と同じだ。

「記念」と「祈念」の言葉とともに「将来」「可能性」など、内閣府と同様に未来志向の単語が用いられている。しかし、ここにもお祝い的な文言はない。

50年前の復帰の日、東京での式典と同時に沖縄でも政府主催の沖縄復帰式典が開催された=1972年5月15日、那覇市民会館

また県は、英語での招待状の表記として「ceremony in commemoration of the 50th anniversary of the reversion of Okinawa」と表現していると説明する。「celebrate」などのお祝い的な意味の単語は確認できなかった。

 

これらの取材から、政府も県も公式には式典が「祝賀」の意味を持つものとは発信していないと言える。

 

「お祝い的な要素は込めていないのか」と、重ねて県に確認すると、県の担当者は「一人一人で祝賀など捉え方は異なると思うが、(沖縄県を)振り返り、将来に向けて歩みを新しくしましょう、というところに重きを置いている」と強調した。

■沖縄の「今」

 戦後27年間の米国による統治から、沖縄が日本の1県となって50年。これほどの時が経過してもなお、政府も県も公式には「祝賀」の文言を使っていない。

使わないのか、使えないのかー。

このことが、沖縄の置かれた今を表しているのかもしれない。

 

5月15日、あなたの目に映る沖縄は、どんな沖縄ですか。                                   

 

(仲井間郁江)

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