復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉5月26 日「帰らない沖縄の空」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」直後の1972年5月26日の琉球新報1面は、「米ソ首脳会談/討議、核心にはいる/重要問題で詰め/海上事故防止協定も」との見出しで、3日目に入った米ソ首脳会談の様子を伝えている。

 「帰らない沖縄の空/米軍/いぜん管制権握る」との見出しで伝えるのは、日本復帰した沖縄だが依然として「空」は返還していない状況を伝えている。記事は「沖縄が27年ぶりに本土へ復帰した。澄みきった空―。しかしこの空は復帰しなかった。航空管制権のほとんどが引き続き米軍の手に残るかっらだ。施政権が返還になったのに、なぜ〝空〟は帰らないのか。名実ともに帰る日はいつなのか」と書き出している。 

 さらに記事では「沖縄の空域は『沖縄FIR(飛行情報区域)』と呼ばれ、東京、台北、大邱(韓国)で、グアム、マニラの各FIRにはさまれている。(中略)この空軍の航空航空管制は、返還以前にすべて米空軍の航空通信軍団に属する第1962航空通信グループが担当していた。(中略)日本に戻ったのは那覇空港での飛行場管制業務というごく限られた部分だけ。あとの二種は米空軍嘉手納基地内にある『センター-ラプコン』(CERAP)が引き続き担当している」と現状を紹介している。

 そのほか「本土各党も動き出す」との見出しで、6月に予定される沖縄県知事選と県議選に向けて、本土側の与野党の対応が活発化している状況を紹介している。

 

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。