【ちむどんどん第47話】戦前、そもそも鶴見へ沖縄県人が来たわけ 朝ドラ「ちむどんどん」キーワード集【ネタバレ注意】


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鶴見沖縄県人会の事務所やホールが入る県人会館入り口=神奈川県横浜市鶴見区

 ちむどんどん第47話では、暢子(黒島結菜)が働くイタリアレストランの料理長・二ツ橋光二(高嶋政伸)が荒れに荒れます。泥酔した二ツ橋は、暢子が二階で下宿する居酒屋「あまゆ」で、居合わせた沖縄県人会長の平良三郎(片岡鶴太郎)に、「全部あんたが悪いんだ」と殴りかかりました。今後明かされるであろう、平良の過去が気になりますね。

 でも、そもそもなぜ神奈川県の鶴見に沖縄県の人たちが多くいるのでしょうか。  

 沖縄から海外への最初の移民は1899年12月、ハワイへ向かい那覇港を出ました。彼らは日本を離れる前に、神奈川の横浜で移住の条件を満たす検査を受けました。そこで不合格になり、沖縄に戻れなくなった県民が神奈川に定住したとされています。

 鶴見では、大正(1912年~26年)から昭和初期にかけて多くの工場が整備されます。そして、同時期に沖縄は「ソテツ地獄」と呼ばれる不景気に見舞われたこともあり、多くの出稼ぎ者が生まれ、神奈川にも多くの沖縄の人が出稼ぎに行きました。1925年の沖縄から他県への移民は、1番が大阪(8533人)で2番が神奈川(2846人)、3番が東京(1046人)でした。  1927年「鶴見沖縄県人同志会」が結成され、太平洋戦争を経て、1953年に現在の鶴見沖縄県人会が結成されました。


>>【まとめ】ちむどんどんキーワード集

▼ちむどんどんってどんな意味?

▼復帰前の沖縄、映画館と遊園地はなかった?

▼意味深な民俗学者の一言「19年の空襲で…」って?

▼「とうしんどーい!」って何? 沖縄県民には結婚式や旧盆でおなじみの曲

▼「まーさん」と言えば…ピンクと黄色のあのマーク?