加藤登紀子「平和を守るのは心と文化」インタビュー㊤ 12月に「ほろ酔いコンサート」


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「ほろ酔いコンサートは私らしいステージだ」と振り返る加藤登紀子=10月13日、那覇市泉崎の琉球新報社(喜瀬守昭撮影)

 歌手の加藤登紀子の歌とお酒を楽しむ「ほろ酔いコンサート」(ミュージックタウン音市場、琉球新報社主催)が12月2日午後7時から、沖縄市のミュージックタウン音市場で開催される。沖縄公演は今回で10回目を迎える。新譜の「果てなき大地の上に」や、平和への思いなどを聞いた。2回に分けて紹介する。(聞き手・田中芳)

 ―1971年から始まった「ほろ酔いコンサート」は今年で50回目を迎えた。

 「きっかけは71年の『知床旅情』のヒットだった。レコードを出させていただき、NHK紅白歌合戦に出たが、私の周りの新聞記者から、おときさんには、おときさんの別のステージが必要だっていうので(笑)。お酒を飲みながらのコンサートを企画したのが出発点。でも翌年の72年に私は(学生運動の指導者だった藤本敏夫さんと)獄中結婚して、2回抜けている」

 「71年の『ほろ酔いコンサート』で私らしいステージをスタートさせたということもあって、歌手に復帰した73年にまたコンサートを再開させ、ずっと続けてきた。今年は沖縄復帰50年の年。日本と中国の国交正常化50年の年でもあって、いろんな意味でこの50年がどういう年だったのか、振り返らなければいけないと思う。世界が戦争という不安の中で迎えた1年はとてもつらい出来事で、重大なことだと感じる」

 ―今年5月にアルバム「果てなき大地の上に」を発売した。アルバムの売り上げは全額、ウクライナで故郷を追われた人々へ寄付する。

 「『果てなき大地の上に』は、今年の初めに、中国の画家、王希奇(ワンシーチー)さんが描いた油絵を見たことがきっかけ。旧満州から戦後に引き揚げる日本人を描いたもので、日本人が残した記録写真を基に描かれた。私はハルビンで生まれ、終戦して引き揚げ船で日本に帰ってきた。引き揚げというのは、あまり歴史の表舞台に出てこない話だが、大きな出来事だった」

 「81年に中国でコンサートをした時、中国の人はとても優しかった。(中国の政治家の)周恩来が『戦争を憎んで、国を憎まず。戦争を憎んで人を憎まず』という言葉で教育していたと教えてくれた。『手を取り合って未来に向かおう』と言ってくれたと聞き、感動した。私は中国で生まれたが、ロシアとウクライナもいつかは良い平和な関係にならないといけない。平和を守るのは人の心の力や文化の力だ」

 「そのために絵を描く人は絵を描いて表現しているし、私たちは歌を作り歌う。自分にできる役割、置かれた場所でできることを相当頑張っていかないと。どういうふうに自分が生きようかということを間違わないようにしないといけない。ウクライナの戦争やロシアとの関係、中国との関係も、50年前もある意味では新しい歴史がスタートする年だったと思うが、50年たった今年は別の意味で新しい出発の年でなければいけない。悪い方向に向かわないことを私たちは頑張らないといけない」

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 「ほろ酔いコンサート」の入場料は一般5千円(当日6千円)(全席指定)。未成年者は入場不可。問い合わせは琉球新報社広告事業局、電話098(865)5255(平日午前10時~午後5時)。