「琉装」パフォーマンス 蔑視の歴史にあらがう 知念ウシ(むぬかちゃー)<女性たち発・うちなー語らな>


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知念ウシ(むぬかちゃー)

 某大学で、パフォーマンス研究を担当している。先日、学園祭とハロウィンを兼ねた仮装大会(仮装で登校し学園生活を送る)があり、授業の一環として参加した。衣装の構想(何を表現したくて、どうするか)、実践(写真・動画撮影で記録)、体験の考察などが課題である。学生たちの報告が楽しみだが、私も参加したので、読者の皆様に報告したい。

 私は最初「マリー・アントワネット」みたいな格好にしようと思ったが、衣装が調達できず、断念。仮装ならぬ「本装」として、いつもより派手な紅型の琉装にすることにした。

 ところで「パフォーマンス」は、見かけだけのごまかし、目立ちたがりなど悪口の意味にも用いられる。

 私が琉装にこだわるようになって20年近くなるが、そのような意味での「パフォーマンス」「コスプレ」と揶揄(やゆ)され、笑われたこともあった。流してはきたが、心の奥の傷になっていることに今回気がついた。パフォーマンスには悲しみやトラウマを癒やす機能もあると授業で説明したので、私はその癒やしも込め、本気で堂々と意図的に「コスプレ」で「パフォーマンス」としてやってやろうじゃないか、と思った。

 ところが、当日は台風で大雨。前日に韓国のイテウォンでの事故もあり、心は重い。でも学生たちがやる以上、私もと、紅型を着て大学へ行った。担当の授業はなかったので学生たちには会えなかった。帰宅途中、地元のスーパーに寄ったら、あるおばあさんに「あい、上等ね、世界のウチナーンチュ大会?」と言われた。琉球のおばあさんにとって10月末日は「ハロウィン」ではなく「世界のウチナーンチュ大会」だと知り、心が温かくなった。

 その後、別の大学の授業にも紅型を着て行った。そこでも毎回琉装しているのに、今回の派手な紅型では、教室に入るや否や学生たちから「おー」という声が上がり、拍手が起きた。いっぺーにふぇーでーびる。

 今回、私は自分の心の傷の癒やしも込めて、これからも何と言われようと琉装するぞと決意するため、パフォーマンスを行った。意識してみれば、個人的トラウマだけでなく、私は琉球人の伝統的衣装文化を含む文化一般が軽視、蔑視、否定されてきた歴史にあらがうために、わが身を使ったパフォーマンスを行ってきたのだ。

 琉服を日常的に好きなときに伸び伸びと誇りを持って着られるようにしたい。それができる力を育もうと琉球社会に私なりの呼びかけを行ってきたつもりだ。

 国際通りに世界のウチナーンチュ大会のパレードを見に行ったが、これまでになく琉装の人たちが多かった。きっとウヤファーフジたちも喜んでいることだろう。