Bリーグ所属のプロバスケットボールチーム「琉球ゴールデンキングス」の活躍に県民が盛り上がり、今年8月のバスケW杯の開催地にもなるなど、沖縄ではいまバスケ熱がこれまで以上に高くなっています。沖縄の高校バスケットボール界の一時代を築いた名将・安里幸男さんのストーリーに迫った、2014年掲載の連載「バスケットボールに恋をして」を改めて掲載します。
辺土名高、北谷高を全国高校総体3位に導くなど、沖縄のバスケットボール界で一時代を築いた安里幸男さんが今春、前原高で定年退職を迎えた。人一倍の情熱で多くの選手や指導者を育てた名将が、経験から得たものや後進への思いなどを語る。
ーー大宜味村に生まれ、中高とバスケット部に所属した。だが、専門的に教えられる指導者はおらず、チームは県大会で1回戦を勝つのがやっとだった。
僕自身は指導者がいないから勝てないという悔しい思いをして、大学でもレギュラーにはなれなかった。後輩たちには同じ思いをさせたくない、大学を卒業してからが自分にとって勝負だと思っていた。
大学時代、夏休みなどを利用して母校の大宜味中で指導するようになった。大宜味中が県大会で20点もの差を猛然と追い上げた試合があった。負けてしまったけど、金城バーニー(現那覇国際高監督)は目尻を切るけがを負い、激しい当たりを受けながらシュートを決め、神懸かり的だった。忘れもしない神原中学校の体育館。「高校で1番になろう」と言った。
ーー翌年、大学卒業を控えた安里さんは強豪から極意を学ぼうと、当時圧倒的な強さを誇った能代工高(秋田)へ向かった。
体育館のドアを開けた瞬間だよ。選手が一斉に立ち止まってあいさつするでしょう。その時に、一つの大きな目に見詰められているような気になるほど、圧倒された。やる気に満ちあふれた集団だった。そしてそれをつくったのが加藤廣志監督(当時)。加藤さんは僕を自宅に泊めて、いろんな話をしてくれた。技術的なことよりも、マネジャーの頑張りとか、心温まる話をたくさんしてくれた。いかに選手のハートに火を付けるかが大事なんだと、感動して沖縄に帰った。
昭和51年に外部コーチとして辺土名を教え始めた。そして3年目の県高校総体。準々決勝で名護と対戦し、2度の延長で決着がついた。ああこれはもう負ける、という試合を追い付いて延長。延長でも先手を取られ、今度は99・9パーセント負けると思ったけどそれも追い付いて。そういう激しい試合を乗り切った勢いで、決勝は大差で勝てた。
ーー県総体で初優勝を飾り、辺土名は全国高校総体の出場を決めた。
県総体後のミーティングでは「ただ参加するだけじゃなく、目標を持って自分たちのバスケをやり抜こう」というような話をした。やり抜くにはどんな戦い方が必要かを研究して、速攻よりも速い超速攻という考えに行き着いた。今でいう「ラン&ガン」だ。高さがない分、平面で戦う。国際大会で日本はいつも背の高い外国勢に勝てない。うちが日本で、内地のチームが外国だと言っていた。(まとめ・大城周子)
(2014年5月1日掲載)