1988年、石垣島での話 仲盛康治(仙台育英学園高・沖縄大非常勤)<未来へいっぽにほ>


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仲盛 康治(仙台育英学園沖縄高・沖縄大非常勤)

 「いつまで甘えている? 母さんは、いつまでもあなたの手を握っていられるわけじゃない。あなただけが寂しい思いをしているわけじゃないでしょう?」

 目の不自由な弟がいる女子生徒の、意見発表の冒頭部分。那覇市の盲学校で寄宿舎生活を送る弟との、家族愛の物語をつづりました。

 母親は彼の自立した将来を願い、優しくも厳しい冒頭の言葉を伝え、泣き崩れたという。発表者である姉は、母の深い愛に心を打たれ、弟の自立を願いました。この日を境に弟は泣かなくなり、しばらくして「走っている姿を見てほしい」と、運動会の案内電話がありました。家族は那覇へ向かいます。

 ロープにバトンが通され、それを握りながら走る姿を見た姉は、「弟は、この先どんな困難があってもこの経験がそれらを打ち破る」と確信します。発表の結びは「弟はわが家の誇り、私も前向きの姿勢で弟に負けないように、自分にも負けないように生きていきたい」でした。

 意見発表会当日は、学校行事と重なってしまったため、私と彼女だけで参加しました。彼女の同級生から、私たちに内緒で作った横断幕を託されました。彼女は舞台に上がったその瞬間それが目に入り、涙声での発表となりました。結果は参加賞。それでも心に残る出来事でした。

 彼らもやがて50代。この出来事も語り草になっています。現在、弟は鍼灸(しんきゅう)師、姉は保育士として皆に愛情を与えています。私も教え子たちに負けないよう、前向きの姿勢で生きていきたいと思うこの頃です。その続編がありますが、次回までお楽しみに。