港の安全守る達人引退 水先人・上里武さん 海と共に半世紀


この記事を書いた人 Avatar photo 大城 誠二
4月30日で退任する那覇水先区水先人会の上里武さん。50年以上海で仕事をしてきた=14日午後、那覇港

 沖縄の海の安全を守ってきた船の達人が長い「航海」を終える。那覇水先区水先人会の水先人(パイロット)上里武さん(74)は、4月30日で半世紀以上にわたって働いてきた海を去る。海域の安全を担って20年以上「常に基本に忠実に」をモットーに、21日までに延べ5193隻を無事故で入出港させてきた。

 水先人は多くの船が行き交う港の周辺や複雑な海域で船長に助言する海の案内役だ。気象海象や地形、混雑具合など水域の全てを知らなくては務まらない。事故で海上交通が止まれば物流や旅客に大きな影響が出るため、責任は大きい。
 そそり立つ断崖のような約6万5千トンの貨物船の外壁から下ろされた縄ばしご(パイロットラダー)をするすると登っていく。70代とは思えない身のこなしと同時に「船長に失礼のないように」と常に背広姿で仕事に臨む。
 船の最も高い所にある船橋(せんきょう)から船員とタグボートに指示を出し、乗り込んで約1時間ほどで接岸させた。「慣れると横着になりやすいが、それが一番怖い。何十年完璧でも一度事故を起こせば全て終わり。想定外は許されない」と気を引き締める。今でも毎朝気象条件を確認し、その日の入出港をイメージする。
 池間島に生まれ漁師の子どもとして育った。宮古水産高を経て三重水産高漁業専攻科を卒業、1969年に甲種船長免許を取得した。漁船の船長を務めた後、有村産業で商船の船長として港を巡った。95年12月に目標としていた水先人になった。
 最も記憶に残っているのは2000年の座礁船救助だ。水先人を付けずに出港したコンテナ船が、那覇空港滑走路の延長線上のサンゴ礁に座礁し航空機が着陸できず大混乱となった。満潮時間を逃せば次の満潮まで空の便が止まりかねない状況で、船が突っ込んでできた溝に沿って慎重に引き出し、無事に救助した。「頭の中はどうやって下ろすかだけを考えていたよ」と振り返る。
 水先人になってからの20年は休暇らしい休暇も取っていないが、理解して支えてくれた妻・隆子さん(72)には心から感謝している。「照れくさくてありがとうを言ったことはないけど、表彰状をあげたいくらいだ。リタイア後のことはまだ考えられないけど、今後はかあちゃん孝行しなければね」と顔をほころばせた。(沖田有吾)