「ハワイで慰霊祭を」 沖縄戦で捕虜、異国で死亡


この記事を書いた人 新里 哲
ハワイで亡くなった県出身捕虜を35年間調査してきた渡口彦信さん=那覇市西

 沖縄戦で米軍の捕虜となり、ハワイの収容所で約1年半過ごした経験のある渡口彦信(ひこしん)さん(90)=読谷村=は「せめてハワイで慰霊祭を行いたい」と思いを募らせている。オアフ島の捕虜収容所で、病気や事故で亡くなった県出身者がいた。長年遺骨の収集を政府などに求めて調査してきた渡口さんの思いを受けて、沖縄ハワイ協会(高山朝光会長)が、慰霊祭実現に向け、実行委員会の立ち上げを検討している。

 渡口さんは1945年7月から46年12月までハワイで捕虜としてごみの入ったドラム缶の回収、有刺鉄線を切り片付ける作業などに従事させられた。県出身の捕虜は2千~3千人ほどいたと記憶する。「せっかく戦を生き延びたのに、ハワイで亡くなった人の思いを考えるとね…」と言葉を詰まらせる。

 「家族の元に戻れない無念さを考えると、何かしないといけない」と、35年前、ハワイで県出身者の墓があるとされた場所を訪ねたが、見つからなかった。

 その後独自に調査を重ね、再び80年代にハワイに足を運び、米国の下院議員と弁護士を通して、死亡と記された12人の県出身者のカルテなどを入手し遺族を探し出した。

 渡口さんは当時の厚生省に遺骨の行方を問い合わせたり「遺骨収集を日本政府に働き掛けてほしい」と、県へ要請したりした。

 90歳を迎えた今、「慰霊祭を実現させて、ハワイに眠る県出身者の鎮魂になれば」と話し、沖縄ハワイ協会などに協力を呼び掛けている。

 一方、遺族の1人、安富泰次郎さん(85)=那覇市=は、父の安富祖泰平さんの遺骨を探して、85年ごろにハワイを訪ねた。父が埋葬されていたとされる墓地に足を運んだが、さら地になっていた。

 安富さんは「遺骨を見つけたい気持ちが一番だ」と話しつつ「もし慰霊祭が実現し、自分の健康状態が許すなら、ハワイで手を合わせたい」と話した。

 沖縄ハワイ協会の高山会長は「ウチナーンチュが大変な苦労をして亡くなり、渡口さんがこれほどの思いを持っている。何とか協力したい」と語り、慰霊祭の実現に向けた実行委員会の立ち上げを検討している。(半嶺わかな)