【島人の目】イタリア式あだ討ちの悲哀


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 2016年7月、イタリアのヴァストの交差点で、スクーターに乗った女性が信号無視の車にはねられて死亡した。女性の名はロベルタ・スマルジャッシ(33)。加害者はイタロ・デリーザ(22)。

 それから7カ月後、事故のあった同じ町の路上で、加害者のデリーザは1人の男に至近距離から拳銃で撃たれて即死した。撃ったのはファビオ・ディ・レッロ(34)。デリーザの車にはねられて亡くなったロベルタの夫である。彼は妻を殺された報復に4発の銃弾を若者に浴びせた。

 悲惨な事件は、イタリア司法制度の最大の欠陥の一つ、審理の遅滞と混乱が引き起こした悲劇である。同時にイタリア司法制度の長所である厳罰回避主義も関係しているのが皮肉だ。

 撃たれたデリーザは裁判所の審理を待つ間、住人の全てがお互いに顔見知りのような小さな町を、何の制約も受けずに自由に動き回っていた。デリーザとディ・レッロが道で行き合うことさえあった。

 また加害者のデリーザは、裁判では恐らく刑務所に入ることもない軽い刑罰で済み、結審後もほぼ自由であろうことが予想された。イタリアの法律では、交通事故の犯人は酒気帯び、麻薬摂取、あるいはひき逃げなどの悪質なケースを除いて刑罰が軽くなるのだ。その観測が妻を殺されたディ・レッロの苦悩となっていた。そして事件が起こった。

 厳罰主義を否定するイタリアの司法の精神は素晴らしい。そこにはキリスト教最大の教義の一つ「赦(ゆる)し」の哲学が込められている。しかし、裁判の極端な遅滞が重大問題だ。動きの遅い司法の鈍感と無能のせいで、事故の加害者と被害者が小さな町で日常的に顔を合わせる、という苦しい残酷な状況が生まれ、やがて衝撃の結末が訪れたのである。
(仲宗根雅則 イタリア在、TVディレクター)