沖縄の空の〝異常さ〟 「親として伝えたい」 当時1年の中田さん(沖国大ヘリ墜落13年)


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沖国大主催の「集い」に参加する中田未来さん=13日、宜野湾市の同大

 【宜野湾】米軍ヘリ墜落当時大学1年生だった中田未来(みく)さん(32)=会社員=は、13日に開かれた大学主催の集いに名護市から駆け付けた。「墜落があるのは異常なことなんだと伝えられる親になりたい」と語り、ことし12月に誕生する子も来年の「集い」に連れてくるつもりだ。

 墜落事故当日は夏休み中で地元の大阪府に帰省していた。友人らからの連絡で墜落を知ったが「ニュース映像などを見ても、すぐには信じられなかった。うそだと思いたかったのかもしれない」と振り返る。

 4年生になった2007年8月、事故の継承を訴えようと、NO FLY ZONE(ノーフライゾーン)コンサートを開催する実行委員となった。「墜落当時を知る最後の学年だったので卒業前に後輩たちに引き継いでおきたい」という思いだった。

 卒業後は観光業に携わる会社で働く。集いが開かれる8月は繁忙期だが、4年前から欠かさず出席している。「13年もたつと、自分の記憶も薄れていくのを感じる。自分自身が(事故を)忘れないためにも、せめて年に一度の集いには必ず参加したい」と決意を表明する。

 普天間飛行場所属のオスプレイなど米軍機の事故が相次いでいることについては「危険と隣り合わせの状況は変わっていない。また墜落は起こりうる」と危惧する。「これまでは自分の身を守るという視点だったが、今後は親としての視点になると思う。子どもが安心して暮らせるようになってほしい」と訴えた。