小児がん克服し最年少沖縄女王 ボウリングの砂川舞佳さん(小5)


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豪快にボールを投げ込む砂川舞佳=南風原町のサザンヒルボウリング場

 4カ月におよぶ小児がんの闘病生活を乗り越え、幼少時から取り組むボウリングの県大会で、最年少優勝した女子小学生がいる。宇栄原小5年の砂川舞佳(南風原町・サザンクラブ)で、全沖縄女子オープン(1月)で1973点(1ゲーム平均219点)の高得点を出し、頂点に立った。昨年の国体成年沖縄代表の下地良信監督も「この年齢でこれだけ完成されたフォームは見たことがない」と逸材ぶりを認める。砂川はプロボウラーと日本代表入りを描き、日々努力を重ねる。(喜屋武研伍)

■全国優勝も経験

 砂川の持ち味はフォームの安定だ。気持ちの変動が得点を大きく左右する競技だが、難しい場面でも安定したフォームで得点を稼ぐ。「安定したフォームはシャドーボウリングのおかげ」と父の尚毅さんは話す。1月の県大会は年齢に応じた配分があったものの総合得点でも3位。一般を相手に堂々の成績だった。

 ボウリング好きの両親に連れられ、物心つく前からボウリング場が遊び場になっていた。自宅では女子プロ・アマボウラーがトーナメント戦を行うテレビ番組「Pリーグ」のビデオにくぎ付け。見終わるとすぐに鏡の前に移動し、何度もプロのフォームをまねした。小学4年の時、全日本小学生競技大会(2016年8月)に出場し、大会新記録で栄冠をつかんだ。

 競技熱も一層高まる中、その年の12月にがんが発覚する。突然、腹部に出っ張りが現れ、病院での血液検査から「卵巣がんの可能性が高い」と言われ、すぐにPICU(小児集中治療室)に入り、緊急治療が行われた。

 「全て分かる年頃だ」と考えた母の優子さんから、病気や治療方法などが打ち明けられた。摘出手術前の抗がん剤投与は3回におよんだ。砂川は普段から弱音を吐かないが、2回目に髪の毛が抜け、強い吐き気に思わず、「なんで自分が」と弱気になることもあった。そんな中で、家族や周囲の支えに加え、大好きなPリーグを見ることで「早くボウリングがしたい」と闘病の恐怖と戦った。

■競技復帰

 17年2月2日、がんの摘出手術が行われた。手術は無事成功。転移はなく、右側の卵巣を切除するのみだった。その後、薬での治療を行いながら1カ月半後、医師から退院を告げられた。優子さんから「退院したらどこに行きたい」と尋ねられ、「ボウリングがしたい」と即答。退院翌日、5ポンドの軽いボールで約2時間、久々の感触を楽しんだ。

 あれから毎週木曜はリーグ戦に参加、土曜日は自主練習で午前10時から午後5時まで20ゲーム以上投げ込む。公式記録のハイシリーズ(3G)も、入院前の648点から685点に伸ばす。マイナスな発言は一切出ず、確実にスペア以上を取るなど、プレーの安定感が増した。

 今も3カ月ごとに定期検診を行う。術後10年となる20歳まで行う予定だ。これまでがんの再発はなく、身長も退院後の140センチから2センチ伸び、足のサイズも23・5センチから24センチになった。心身ともに成長したこの1年。「プロボウラーになる前に、まずはナショナルチーム入り」することを掲げ前へ進む。砂川の一歩一歩は家族の夢でもある。