普天間返還合意22年 宜野湾市民は何を思うのか


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住宅地上空を飛行するMV22オスプレイ=11日午後4時ごろ、宜野湾市内

 【宜野湾】米軍普天間飛行場の返還合意から22年を迎えた沖縄県宜野湾市では、今も変わらず、米軍機が離着陸を繰り返す。そのたびに子どもたちの声や学校の鐘、ごみ収集車のアナウンスなど、生活の営みの音はかき消される。爆音に揺れる空を見上げる人は少ない。合意22年となる市内を歩いた。市民からは失望と怒りの声が漏れた。

 普天間飛行場の滑走路から近い新城地域。清明のために買ったミカンと紫の花を持って歩いていた仲松弥政さん(76)は「合意が決まったときは『やった』と喜んだ。でも、だんだんなし崩しになった。今ではかえって悪くなっている」と吐き捨てる。「飛ぶたびにいらいらする。一日も早くどかしてほしい」。花を持つ手が怒りで震えた。

 昨年12月13日に大型輸送ヘリCH53Eの窓が運動場に落下した普天間第二小のそば、女性(44)は普天間第二幼稚園に通う息子(5)の手を引いて家路を急ぐ。「基地反対と言っても、移設が条件になるなら…」。基地との共存も仕方ないと考えていたが、相次ぐ米軍機事故で気持ちに変化が生まれた。落下事故のときは園で過ごす息子のことが心配でたまらなかった。「事件事故が起こるたび、これ以上は嫌だという思いもある」。女性の声がMV22オスプレイの音で遮られる。顔を近づけて女性は「米軍が『良き隣人』をうたうなら市民のためになるように行動してほしい」と声を張り上げた。

 2004年にCH53Dが墜落した沖縄国際大学。学生の多くが合意後の生まれだ。肩を並べて歩く島田咲良さん(20)と比屋根郁海さん(20)は返還合意を知らなかった。比屋根さんは「授業がヘリの音で中断したことは何度もある。また大学に落ちたらと考えると怖い」と顔をしかめる。

 滑走路の延長線上に位置し、米軍機が日々爆音をまき散らす上大謝名地域。「騒音はどんどんひどくなっている。もう撤去してほしい」。集落内を歩いていた80代女性は、記者の質問にうつむく。ただ、辺野古移設には複雑な思いがある。「向こうの人に同じ思いはしてほしくない。葛藤はある」。目線を避け、早足に立ち去った。(安富智希)