米軍の牧港武装訓練通告 戦争想起「絶対許せぬ」 過去にも実施、遺族ら憤り


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
フェンス沿いで機関銃を構える米兵ら=2012年2月、浦添市の牧港補給地区

 【浦添】在沖米海兵隊が、沖縄県浦添市の牧港補給地区(キャンプ・キンザー)で武装した兵士がフェンス沿いで銃を構える防衛訓練を実施すると発表して2週間余りが経過した。これまでに訓練は確認されていないが、市民からは「銃口を向けられるのは怖い」などと不安の声が上がる。市宮城の戦争体験者、喜舎場宗正さん(79)は「戦時中、避難しようと歩いていたら銃撃され、一緒にいた祖父が即死した。わざわざ市民に戦争を思い出させるような訓練は絶対に許せない」と話す。

 喜舎場さんは1944年の10・10空襲の後、市大平の防空壕に祖父と姉と妹と共に避難した。45年4月に米軍が上陸し、浦添でも艦砲射撃が激しくなった。防空壕では危ないと判断した祖父と共に姉と妹と牧港のガマに向かっていたが突然パラパラという銃声が響き、祖父が倒れた。

在沖海兵隊が予定している訓練について「米兵に銃撃されたことを思い出す」と語る喜舎場宗正さん=浦添市

 10歳の姉が2歳の妹を抱き、牧港テラブのガマに移動した。しばらく身を隠していたが、米兵が入ってきて銃口を向け、投降を呼び掛けた。中にいた住民らは「手りゅう弾を投げろ」と抵抗しようとしたため、米兵はいったん引き揚げ、毒ガスのようなものをまいたという。ガマの中では火も上がり、混乱した住民らと一緒にガマを飛び出した。妹とはそこではぐれてしまった。

 住民らと暗がりの中、南下しようとしたが、野営をしている米軍に気づかれ、銃撃を受けた。一緒にいたかなりの人がばたばたと倒れ、残った人は近くの墓の中に逃げ込み、銃声がやむのを待ったという。喜舎場さんはその後、牧港で米軍に保護され、戦争孤児を集めていた沖縄市の収容所に連れて行かれ、終戦を迎えた。

 今回の在沖海兵隊の訓練について喜舎場さんは「沖縄には米軍の銃撃で家族を失った人がたくさんいる。思い出すだけでピリピリと心の傷が痛むのに、どうしてそういう訓練をわざわざ民間地の近くでするのだろうか」と悲しそうに話した。

 米兵が銃口をフェンス外に向けて構える訓練は2005年と12年にも実施され、市民から反発の声が上がった。在沖海兵隊は訓練の実施日など詳細については明らかにしていない。(松堂秀樹)