校歌探訪 与那国町立与那国小学校


この記事を書いた人 Avatar photo 瀬底 正志郎

 町役場があり与那国島の中心的な集落である祖納地区を校区とする与那国小学校は、1885年6月に創立された。与那国では最も開校が早く、八重山でも3番目に長い歴史を誇る学校だ。現在は76人の児童が通う。校歌の制定は1927年で、当時の中重徹校長が作詞を手掛けた。勤勉の大切さを基調に、島の日常風景がちりばめられている。
 「これ七百のはらからが」(一番)では、700人以上の児童が通った、かつての学校の姿を描く。児童数が900人を超えた時期もあり、その当時の歌詞の数字は「九百」だったという。児童数の減少に合わせて校歌の数字が変わったが、「七百」を境に据え置いたとの話が残る。地域住民が、学校が持つ畑や水田の収穫作業に協力するなど、学校と地域が二人三脚で子どもたちを育む。