夫遺志継ぎ そば打ち 嘉手納・日本そば「せい家」星智子さん 一から学び、2人の夢再開


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そばを打つ星智子さん。奥にあるのは清吉さんの写真だ=嘉手納町嘉手納の「せい家」

 【嘉手納】嘉手納町で唯一の日本そば屋「せい家」で一人、そばを打つのは星智子さん(52)だ。昨年4月まで、そばを打っていた夫の清吉さん。清吉さんはがんを患い、その年の8月に68歳で死去した。清吉さんが打つそばが自慢だった店は、今では智子さんがそば打ちから接客まで一人でこなす。智子さんは「主人が守ってくれているから」と、訪れる客のために、熱心にそばを打つ。

 星さん夫婦は2006年10月に福島県から沖縄に引っ越した。雪の降らない暖かいところでの生活に憧れていた。清吉さんは建設会社の経営者だったが、趣味で打っていた日本そばの店を嘉手納で開いた。

 清吉さんが打っていたのは会津地方では一般的な「さらしな粉」を使ったそば。独特の香りとのどごしが特徴だ。県内ではなじみの薄い日本そばだが、店先でそばを植えたり、客にそばの実を見せたりして、日本そばを広めようと取り組んできた。

 店が軌道に乗りつつあった15年9月、清吉さんの喉にがんが見つかった。治療のため、8カ月ほど店を閉めた。手術が難しい場所で、抗がん剤による治療が続いた。店を再開させたが、がんは全身に転移。17年4月に再び店を閉め、療養のために戻った故郷・会津で清吉さんは息を引き取った。

 店の整理のため、嘉手納に戻ってきた智子さん。ふと清吉さんが大事にしていたノートを開いた。そこに書かれていたのは町内外から来店した客の「おいしかった」「また来ます」の声だった。「常連さんに何も言わず、このまま店を閉じていいのか」と悩んだ。それまでは清吉さんがそばを打っており、智子さん自身はそば打ちの経験はなかった。そんな時、北谷町に住む常連客に出会った。夫が宮崎出身でそばを打っているという。常連客の夫から技術を学び、店を再開することを決意した。

 熱心に技術を学び、店を再開した智子さん。打つそばは一般的なそば粉だ。「いつか主人と同じ、さらしな粉でそばを打てるようになりたい」と誓っている。「2人で始めた店だ。ここで引き下がったら中途半端になる。会津の人間として諦められない」と力を込める。

 智子さんは午前6時半から準備し、そばを打つ。「そばを打っている時に主人を感じる」。これからも夫婦二人三脚の店は続く。
 (安富智希)