現代の名工に沖縄県内3氏 紅型・屋冨さん 琉球ガラス・平良さん 畳・益田さん


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 厚生労働省は11日、伝統工芸や工業技術などで優れた技能や業績を持つ150人を2018年度の「現代の名工」に選んだと発表した。沖縄県内からは、やふそ紅型工房代表で染物職の屋冨祖幸子さん(71)=那覇市、琉球ガラス村の生産部技術指導責任者でガラス吹工の平良恒雄さん(70)=浦添市=、大伸たたみ店代表者で畳工の益田伸次さん(68)=宜野湾市=が認定された。県内の「現代の名工」は、延べ55人。表彰式は12日、東京都のリーガロイヤルホテル東京で行われる。

「一つ一つの作業を丁寧に、心を込めて取り組むことを心掛けている」と語る屋冨祖幸子さん=6日、那覇市大道

◆沖縄の紅型 次代へ/屋冨祖幸子さん

 琉球王朝時代から受け継がれた伝統の染色技法を守り、発展させ、次世代へと継承する。屋冨祖幸子さん(71)は約半世紀にわたり紅型と向き合い、その魅力と可能性を追求してきた。

 中学2年の時に紅型と出合い、沖縄の豊かな自然や人の温かみがにじむような、鮮やかな色彩と繊細な文様に心を奪われた。首里高校染色科を卒業し、東京の専門学校でデザインを学んだ後、1975年、那覇市大道にやふそ紅型工房を立ち上げた。後継者育成のため、紅型づくりの基礎資料もまとめた。

 型を彫るシーグ(小刀)づくりから染色塗料の調合まで、一つ一つの作業を全て自身の工房で手掛けるのが信条だ。「先人が築いた伝統技法を、色あせることなく今を生きる人々に届けたい」。強い思いが創作意欲をかき立てている。

 認定を喜ぶと同時に、後継者育成への責任感も一層強まった。「紅型は沖縄の宝。沖縄が世界に誇れるような作品を、今後も若手職人と一緒につくっていけたら」と前を向く。

三線職人という子どもの頃の夢をかなえるため作った琉球ガラスの三線と平良恒雄さん=6日、糸満市福地の琉球ガラス村

◆琉球ガラス 自在に/平良恒雄さん

 伊良部島で生まれ、子どもの頃はヤシの実と紙、バナナの樹液をのり代わりに三線を作った。中学校を卒業後、三線職人に憧れて本島に渡ったが、たまたま見たガラス工芸で心を奪われた。「自由自在にガラスを操る、男らしい仕事だ」。16歳の感動を今も鮮明に覚えている。

 最初の3年間は、ガラスに息を吹き込む鉄パイプのさびをレンガで磨き落とす日々。当時は空き瓶が貴重だった。材料で練習もできず不安もあった。しかし「技術を覚えると、楽しくなった」とのめり込んだ。

 代表作は約20年前から取り組む「深海シリーズ」。特殊な技法を使い、沖縄の海の色をそのまま吹き込んだかのような表現で「大好きな作品」と笑顔で語る。

 今回の認定について「物作りには終わりはない。頑張れと言われているようだ」と気を引き締める。琉球ガラス村で指導する職人31人中12人が県伝統工芸士となり、後継者も育っている。「ガラス作りはチームワーク。これからも若い職人と一緒に頑張りたい」

「畳の魅力を多くの人に届けたい」と語る益田伸次さん=6日、宜野湾市真栄原

◆畳で安らげる空間を/益田伸次さん

 糸と縁(へり)引きを使い、正確に畳間を採寸していく。真剣なまなざしで「畳は採寸が命。隙間が生じることなく仕上げることが重要だ」と熱っぽく語る。

 県産のイグサ(ビーグ)は本土産と比べ、太くて硬い性質がある。「材料の特徴を引き出して仕上がりに良さにつなげたい」との思いから、スチーム処理をしながら畳を弓状に曲げる独自の方法を考案。仕上がりのいい、縁なし畳を生み出してきた。

 奄美大島出身。1972年に父親の経営する大久保畳商店に就職。95年に独立し、大伸たたみ店を設立した。今回の認定を「大変名誉なことだ」と喜び「妻の協力がなければ成し遂げられなかった」と感謝する。

 「畳は安らげる空間をつくる」と語る。2013年には厚生労働省「ものづくりマイスター」の認定を受け、小中学生に向けたものづくり体験、高校生や若い技術者に講義や実技指導をしてきた。「畳の良さを若い世代に伝えていきたい。技術の継承は畳工としての責任だ」と思いを込める。