犯罪被害、母の傷深く 那覇で集会、事件風化を懸念


この記事を書いた人 Avatar photo 与那嶺 明彦
パネル討論に登壇し、被害者支援のあり方などについて話す遺族や支援者ら=21日、浦添市のてだこホール

 「息子は苦しくて痛かっただろう。こう思うと今でも加害者を『殺してやりたい』という気持ちは変わらない」。2009年11月にうるま市で起きた同級生8人による集団暴行事件で、当時中2の息子を殺された母親が21日、浦添市で開かれた犯罪被害者支援に関するパネル討論に登壇し、現在の心境を語った。母親が県内で事件について公の場で語るのは初めてという。

 母親は「事件から9年たつが、まだ息子が帰ってくるんじゃないかという気持ちがあって、朝起きると『ご飯を作らないと』と思う時もある。つらいので今は家族とは息子のことを話すことは無い」と苦しい胸の内を明かした。

 パネル討論は、11月25日~12月1日の「犯罪被害者週間」に合わせた「犯罪被害者週間 沖縄大会」(主催・警察庁、県、県警、沖縄被害者支援ゆいセンター、浦添市)の一環で開かれ、600人(主催者発表)が被害者の話に耳を傾けた。

 母親は「今はようやく落ち着いて暮らしているが、事件直後はネットでの誹謗(ひぼう)中傷が多く、地域にいづらくなった。でも今は何を言われても気にしない」と事件当時を淡々と振り返った。

 母親ら遺族は加害者らに対して損害賠償請求訴訟も起こし、賠償金以外の条件も課して和解した。だが事件から9年がたち、加害者らに課した約束は形骸化してきているという。「加害者8人のうちの数人は結婚して子どももいる。命日には謝罪文を書き、住所が変われば連絡を送ると約束したが、今は書く人も少なくて、命日に線香を上げる人も2、3人となった」とした。

 一方、被害者の立場から報道機関の取材に疑問を投げ掛ける場面もあった。母親は「事件当時、息子の名前と写真が報道された。しかし加害者は少年法で守られていて、名前が出ないし顔も出ない。報道被害だ」と強調した。さらに「マスコミは事件直後は取材に来るけど、時期がたつとさっと引いていく。今では事件は無かったように忘れ去られている」と報道機関の姿勢を批判した。