社会

暴力団抗争 2警官殺害事件から28年 沖縄県警、容疑者死亡で書類送検へ

 暴力団抗争の最中の1990年11月、沖縄市で暴力団員が警察官2人を殺害した事件から23日で28年がたった。県警は事件後に逃亡した実行犯の一人で全国指名手配中の又吉建男容疑者(69)が既に死亡している可能性が高いとみて、容疑者死亡のまま殺人容疑で書類送検することを視野に捜査を進めている。捜査関係者への取材で分かった。県警は犯行を指示したとされる指定暴力団旭琉会幹部の刑事責任を追及する構えで、引き続き捜査を進めている。


比嘉警部と拝根警部補が乗っていた警察車両=1990年11月23日

 当時の捜査関係者や県警によると、又吉容疑者は2000年10月ごろ、県外組織の援助で京都府内の病院を受診した。その際、脊髄へのがん転移が見つかり、自力歩行は不可能な状態だったことが捜査で判明している。当時の病状などから、既に県外で死亡している可能性が高い。

 事件は90年11月23日午後11時5分ごろ、沖縄市胡屋のゴルフ練習場付近空き地で発生。当時、私服で捜査車両に乗務し、暴力団抗争の遊撃警戒に当たっていた警部=当時(43)=と警部補=当時(42)=が頭などを撃たれて死亡したほか、近くにいた主婦も撃たれ、右足貫通の重傷を負った。

 県警は事件発生から22日経過した12月15日、三代目旭琉会錦一家組員の受刑者を殺人容疑などで逮捕。犯行現場に容疑者とともに居合わせた中学2年生の少年=当時(14)=をぐ犯少年として家庭裁判所に送致した。受刑者は当時の調べに対して容疑を認め「暴力団組員と間違って撃った」などと供述していた。

 犯行に関与したとして同一家幹部も捜査線に浮上。犯行直前に受刑者と連絡を取り合っていたことなども判明したが、22日現在、全国指名手配中で摘発には至っていない。

 28年の歳月がたった事件の風化を防ぐため、県警友会と暴力団追放県民会議は沖縄署内に慰霊碑の建立を決めた。23日午後4時から除幕式を催す。




◇遺族に「申し訳ない」 共犯受刑者の手紙


遺族への謝罪の気持ちなどをつづった受刑者の手紙

 実行犯として無期懲役が確定し、熊本刑務所に服役中の受刑者は22日までに琉球新報の取材に手紙で応じた。本紙は受刑者に手紙で質問を送付し面会取材を求めた。面会は断られたが、現在の心境などをつづった返信を得た。殉職した警察官の遺族に向けて「申し訳ない気持ちでいっぱいです」と現在の心境を明らかにした。犯行当時の状況については「控訴審で述べていますので改めての発言はしません」と記している。やりとりは以下の通り。

 ―1990年11月23日の事件発生時の状況について。

 「控訴審で述べていますので改めての発言はしません」

 ―もう一人の実行犯とされ、全国指名手配中の又吉建男容疑者に対する思いや(又吉容疑者の)事件後の消息について。

 「又吉さんは何事につけ一生懸命で最善を尽くす良き男。消息については全く不知」

 ―事件の背景には錦一家幹部の指示があった可能性が取り沙汰されている。事実関係について。

 「指示は全く受けていない」

 ―刑に服す中での今の気持ちは。

 「生きている意味を探している毎日」

 ―事件で亡くなられた2人の警察官の遺族に対しては。

 「申し訳ない気持ちでいっぱいです」

 ―故郷沖縄に対する思いは。

 「唯々(ただただ)恥じいるばかり」




◆事件経緯 対立組員と誤認、射殺 県警、幹部摘発至らず

 1970年に発足した「沖縄連合旭琉会」は、90年9月に三代目旭琉会と沖縄旭琉会に分裂し、抗争に発展した。警部と警部補は当時の暴力団の報復合戦に巻き込まれた。

 2人は暴力団抗争の遊撃警戒に当たっていた時に対立組織の組員と間違えられて射殺された。県警は当時の状況などから現旭琉会幹部の指示があったとみて捜査を続けるが、実行犯のうちの一人が逃亡したため全容解明には至っていない。

 警官射殺事件の前日の90年11月22日、那覇市前島の三代目旭琉会錦一家幹部自宅前で、発砲に備えた防御壁の取り付け作業をしていた高校生を沖縄旭琉会系組員が射殺する事件が発生した。捜査関係者は錦一家幹部が「高校生の仇を取ってこい」と指示したとみている。

 錦一家組員だった全国指名手配中の又吉建男容疑者や受刑者は報復を模索。翌23日、沖縄市胡屋の事件現場近くに錦一家の隠れアジトの周辺で、対立相手の攻撃を警戒していた。その時、警部と警部補が乗る黒のセダンタイプの車を見つけて犯行に及んだ。

 受刑者は逮捕当時、「対立組織の相手と間違えて撃った」と容疑を認めたが、裁判の初公判では容疑を否認した。控訴審では又吉容疑者が発砲したと主張した上で、錦一家幹部から「(対立組織組員を殺害し)新聞に死亡記事を書かせろ」という指示があったことまで証言した。しかし、現時点で幹部の摘発には至っていない。受刑者は本紙への手紙で「指示は全く受けていない」としている。

○用語「旭琉会の内部抗争」

 1990~92年にかけて県内で発生した沖縄旭琉会と三代目旭琉会による内部抗争。一連の事件で高校生1人、警察官2人を含む7人が抗争の凶弾によって死亡し、負傷者13人も出たほか手製爆弾航空機持ち込み事件も発生した。県警は抗争警戒のため、最大で県外からの応援捜査員600人を含む1470人の捜査員を投入。220人の暴力団構成員を逮捕し、抗争に用いられた拳銃42丁、手製爆弾などを押収した。92年2月、両旭琉会の代表が抗争の終結宣言を行い、表だった抗争は事実上、終結した。









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