元新聞記者で知名度不足が課題だった屋良朝博氏が、元沖縄北方担当相の島尻安伊子氏を破り初当選を果たした。県知事選、県民投票で示された米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設反対の民意が当選の原動力となった。島尻氏が容認の立場を示し、辺野古移設の争点が明確になったことで、従来の革新票だけでなく辺野古移設に反対する保守層や無党派層の票を取り込んだ。
屋良氏は、沖縄3区に地盤を持つ玉城デニー知事と共に街頭に立つなどして後継者として強く印象付け、知名度の低さをカバーした。選挙戦の序盤から、1日数十本の街頭演説や3区内の地域をくまなく回り、有権者に積極的に顔を見せた。企業などへの精力的なあいさつ回りで一定の保守票の切り崩しにも成功した。
終盤、世論調査で「優位」の報道があった以降も、陣営は名護市長選の教訓を念頭に引き締めを図った。国政野党4党首が来県するなど最後まで運動を緩めなかった。
一方、島尻氏は辺野古移設容認の姿勢に対し、移設に反対する一部の保守層や無党派層からの反発を招いたとみられる。島尻氏はかつて普天間飛行場の「県外移設」を公約に掲げ、後に撤回した。辺野古移設に反対する市民らの抗議行動に対して事前拘禁を認めるかのような発言で物議を醸したこともある。現職時代の発言などで県民に根付いた不信感を払拭(ふっしょく)できなかった。
選挙戦では菅義偉官房長官や加藤勝信総務会長、岸田文雄政調会長など政権幹部や党三役らが沖縄入りしたが、効果は一定程度にとどまった。
北谷町で起きた米海軍兵による日本人女性殺害事件など、相次ぐ米軍関係の事件・事故に対する批判も影響したとみられる。
(下地美夏子)