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「平和の礎」空白の刻銘板が問い掛けること 「はっきり分かっていない」をそのままにしていいのか


この記事を書いた人 Avatar photo 玉城江梨子

沖縄県糸満市の「平和の礎」。幾重にも並んだ黒い石碑には沖縄戦などで亡くなった人の名を軍人、民間人の区別、敵、味方の区別なく刻んでいる。その数は24万人を超える。世界の恒久平和を望む「沖縄の心」を発信する場所でもある。

外国人は国別、日本人は出身都道府県別、沖縄県民は市町村、字別に名前が刻まれている。どの刻銘板にもびっしりと名前が刻まれているが、ある場所だけ空白の刻銘板が続く。

朝鮮半島出身者の刻銘板だ。

名前が刻まれていない刻銘板=糸満市摩文仁

刻まれているのはわずか464人(韓国382人、北朝鮮82人)。2019年度は新たに2人の名前が刻まれたが、刻銘されていない人はまだ大勢いる。

礎と同じ平和祈念公園内にある「韓国人の碑」には「この沖縄の地にも徴兵、徴用として動員された1万人余があらゆる艱難を強いられたあげく、あるいは戦死あるいは虐殺されるなど惜しくも犠牲となった」と記されている。

464人と1万人余。この差は何だろうか。一体、何人が動員され、何人が犠牲になったのだろうか。

沖縄戦での朝鮮半島出身者の動員数、犠牲者数については一般的にこう説明されてきた。

「その数ははっきりしないが、1~2万人と言われている」

これに疑問を持った1人の女性がいる。「この1~2万人という数字はどこから出てきたのか」「実態は分からないは本当か」

「普通の主婦」が朝鮮人の沖縄戦にこだわる理由

沖本富貴子さん(69)=沖縄県八重瀬町=はこの数年、朝鮮人の追加刻銘の申請に関わってきた。2017年に追加刻銘された権云善(クォンウンソン)さんと朴熙兌(パクフィテ)さんは遺族が刻銘を望んだが、戦死認定がされていないため、当初、申告さえできなかった。その時には県議会に陳情、参考人招致で刻銘の必要性を訴えた。陳情は採択され、沖縄県は朝鮮人の刻銘の基準を緩和。2人の名前は刻まれた。

彼女が朝鮮人の沖縄戦にこれだけ関わるのはなぜか。

「『分かっていない』が常套句なのは誰もやっていないから。それでは永遠に分からない。だったら私が調べようと思っただけ」。沖本さんはさらりと答えた。

朝鮮人の沖縄戦について調査をしている沖本富貴子さん=八重瀬町

自宅にはずらりと資料が並ぶ。国立国会図書館や公文書館で入手した名簿のコピー、各市町村史の証言、先行研究の数々…。

閲覧可能な日韓両方の公文書などから、朝鮮人兵士、軍属の沖縄戦の実態を調査してきた。「これだけ調査しているなら、論文発表の機会があった方がいい」というアドバイスを受け、沖縄大学地域研究所特別研究員という肩書きを得たが、本人曰く「普通の主婦」。日々の暮らしのかたわら、紙やインターネットで資料をめくり、関係者に話を聞きにいく。

もともと韓国に興味があったが、本格的に朝鮮人の沖縄戦に取り組むようになったきっかけは2013年、韓国の英陽(ヨンヤン)にある恨之碑を訪れたことだった。碑にはハングルで多数の人の名前が刻まれており、「戦争の死亡者」と説明を受けた。「何を基にこれだけの名前を刻むことができたのか」。沖縄では「その数ははっきりしない」と言われ、平和の礎への刻銘も進まないが、もっと調べられるのでは―という強い衝撃を受けた。

同じ頃、日本政府から韓国政府に渡された朝鮮人名簿についての研究書「戦時朝鮮人強制労働調査資料集」(竹内康人著)に出合う。その中には沖縄戦に動員された朝鮮人軍人軍属が配置された部隊とその人数がまとめられていた。

沖本さんは竹内氏の研究をもとに、「陣中日誌」などの戦時資料に残された部隊の動きと体験者の証言をつきあわせていった。すると、これまで見えなかったことが見えてきた。

戦闘準備のために後方部隊として徴用され、港湾作業、陣地構築などをしていた軍属も戦争が始まると戦闘部隊に組み込まれ、武器の扱いも教えられないまま斬り込みをさせられたり、前線で弾薬運搬をしたりしていた。

朝鮮人の沖縄戦を語る時の〝危うさ〟

「沖縄戦の朝鮮人については、戦争前に十分な食糧が与えられず過酷な労働を強いられたことがクローズアップされて語られている。でも部隊別に死亡者数と時期、場所を集計すると、沖縄本島では首里の攻防や南部に追い詰められて犠牲になった人が多かった」。生死不明が多い名簿とその部隊の足取りからは、それだけ過酷な戦場に朝鮮人たちも巻き込まれ死んでいったことを物語る。

「いつもひもじそうにしていた」「疲れ切って座り込んでいる朝鮮人を日本兵が軍靴で足蹴りしていた」。沖縄の人たちの証言からは戦場での朝鮮人の具体的な姿が見えてくる。パズルのピースを合わせるように事実を積み上げていく。どのような体験をしたのか。「差別されていた」と言われるがどんな差別だったのか。「知りたい」という気持ちはどんどん湧いてくる。

「詳しくは分からないが、朝鮮人は大変だった」と言ってしまうこと、悲惨さを表現するときに数の多さが焦点になることに危うさを感じる。それは「一つのイメージでストーリーを作ることにつながりかねない」からだ。アジア・太平洋戦争の終結から74年。体験者も遺族も高齢化し、あの時何が起きていたのかを語れる人が少なくなっているからこそ、丁寧に実態をつかんでいく必要がある。

なぜ刻銘が進まない

研究として朝鮮人の沖縄戦を明らかにしていくことは大事だが、沖本さんは平和の礎への刻銘も同時に重要だと指摘する。

日本政府が韓国政府に渡した名簿などからは少なくとも沖縄戦に3500人の朝鮮人が軍人、軍属として動員されたことが分かった。しかし欠落している名簿の存在も否定できず、この数字は確定値ではない。
名簿には死亡日時なども記されているが、ほとんどが「生死不明」。死亡認定されているのはわずかだ。そのため、どれだけの人が犠牲になったのか、名簿から実相をつかむのは難しい。

なぜ「生死不明」が多いのか。

日本軍に所属していた軍人軍属は、未帰還の場合、戦後処理として死亡認定され、恩給法や援護法の適用を受けた。しかしその対象は日本人だけであり、朝鮮人は「外国籍」であることを理由にこれらの制度から除外された。さらに日本政府は朝鮮人の未帰還者の生死や傷病の有無などについて調査や確認作業をしていない。このため、沖縄戦で犠牲になった朝鮮人のほとんどが「生死不明」となっているのだ。

朝鮮人の平和の礎への刻銘は、旧厚生省が作成した死亡者の名簿を基に、韓国で調査を行い、遺族に刻銘を呼び掛けた。つまり、基とのなった名簿自体が朝鮮人の犠牲の実相を反映していないため、刻銘数は極端に少なくなっているのだ。

沖本さんが主に研究しているのは朝鮮人兵士、軍属だが、沖縄戦に巻き込まれた朝鮮人はこれだけではない。戦前から沖縄に住んでいた人たち、「慰安婦」にされた女性たち、民間業者に労務動員された人たち、船舶の乗組員も犠牲になった。なお、朝鮮人「慰安婦」の戦死者数は不明で「平和の礎」には一人も刻銘されていない。

韓国では戦後、申告に基づき戦争犠牲者の認定がされていったという。日本側の名簿と韓国側の名簿をつきあわせることで刻銘対象者が分かる可能性がある。

遺族の中には、自分の家族が沖縄で死んだことさえ知らない人もいる。「平和の礎」の存在も韓国で広く知られているとは言いがたい。沖本さんは「沖縄県は韓国に対して平和の礎刻銘作業への協力を求めてほしい。平和の礎を沖縄戦の実態に即したものにするためにも、韓国と連携して調査することが必要」と指摘している。

(玉城江梨子)

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