慰霊の日の沖縄はこんな一日だった ドキュメント慰霊の日2019


社会
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台湾人犠牲者の名が刻まれた刻銘板の前で追悼をする台湾籍老兵協会と台湾転型正義協会のメンバー=平和祈念公園

 04・54 陸自第15旅団の中村裕亮旅団長ら約30人が黎明之塔を制服姿で参拝した。参拝を見た女性は「自衛隊という組織として献花しているように感じた」と語った。

 07・32 平和祈念公園のシャトルバス乗降所付近で、沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表(65)らが、戦没者遺骨のDNA鑑定の集団申請を呼び掛けるチラシの配布を開始。「ぜひ参加を」との声に、遺族が足を止めていた。

 09・07 第32軍の牛島満司令官の孫、牛島貞満さん(65)が魂魄の塔を訪れ黙とう。「沖縄戦でこれだけの被害を出したのに今沖縄には基地が集中している。沖縄戦の反省から学んでいない」と話した。

 09・30 沖縄市の泡瀬の搭で、慰霊祭が始まる。幼少の頃にフィリピンから引き揚げた男性(81)は、きょうだい4人を亡くした。「戦争は絶対してはいけないと子や孫に伝えていく」と誓った。

全九州高校バスケットボール競技大会で黙とうする高校生=那覇市の県立武道館

 09・47 和魂の塔(那覇市松山)の慰霊祭に参加した大城宗祐さん(88)=那覇市=は兄を亡くした。「平和、それ以上に言うことはない。個人の感想ではなく、平和や慰霊は国民全員のものなんだよ」と言い切った。

 09・50 60代男性はスマートフォンから沖縄民謡「平和の願い」を流し、祖父母の名前が刻まれた平和の礎の刻銘板をじっと見つめた。「写真もなくて会ったこともない。でも毎年来ている。今日は音楽を流したら喜ぶかなと思って」

 10・05 台湾籍老兵協会と台湾転型正義協会のメンバー26人が強制動員された台湾人犠牲者の名が刻まれた刻銘板の前で追悼集会。通訳を務めた余姿慧(ヨ・シエ)さん(27)は「台湾人犠牲者の刻銘が進んでいないことを報じてほしい」と訴えた。

 11・00 沖縄師範健児之塔を訪れた玉城政文さん(91)。沖縄師範学校に通っていた同級生の多くを戦争で失った。「毎年来ているが、ここに来る同窓生はもう2~3人ぐらいだ」と言葉少なに語った。

 12・08 全九州高校バスケットボール競技大会が開かれていた那覇市の県立武道館。4強に残った九州各県の高校生、スタンドの観客らが1分間、一斉に黙とうした。

ひめゆりの校歌や童謡など6曲を歌う糸満高合唱部=ひめゆりの塔

 12・10 石垣市の新栄公園内にある世界平和の鐘の鐘打式に合わせ、恒久平和の願いを空に届けようと、茅原書藝会八重山支局の小学生6人が竹とんぼを飛ばした。石垣小6年の入嵩西諄哉さん(11)は「ちゃんと天国にも思いが届いたと思う。戦争は大切な命の無駄遣いだから、二度と起こってほしくない」と話した。

 13・40 開南健児之塔を訪れた名嘉山廣貞さん(89)は開南中の7期生。「戦時中はいつ爆弾が落ちるか分からなくて毎日怖かった。もう戦争は起きないでほしい」と語った。

 13・45 糸満高合唱部がひめゆりの校歌や童謡など6曲を歌い終える。部長の嘉数未来さん(17)は「同世代の方々がどれだけ悔しい思いをしたか。追悼の歌声が届いてくれれば」と願いを込めた。

白梅の塔の慰霊祭で同窓生への思いを語る中山きくさん=糸満市真栄里の「白梅之塔」

 14・00 糸満市真栄里の「白梅之塔」で73回目の慰霊祭始まる。同窓会長の中山きくさん(90)は「時代や暮らしが変わろうと、どんなに手を尽くしても失われた皆さま方の命がよみがえることはない」と語り、祈りをささげた。

 17・20 西原町小波津地区の慰霊祭は雨のため集落センターで開催。開会前、子どもたちが「パプリカ」(作詞作曲 米津玄師)を元気いっぱいに歌う。「喜びを数えたら あなたでいっぱい」。地域の人たちが笑顔で聴く。