ひめゆり学徒隊が避難した沖縄・糸満市の壕で慰霊祭 壕を見つけた遺骨収集関係者が祈り捧げる


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 【糸満】74年前の沖縄戦で、陸軍病院従事者やひめゆり学徒が避難したとされる糸満市の「糸洲第二外科壕跡(陸軍病院第二外科壕跡)」で毎年、独自の慰霊祭を開いている人たちがいる。40年以上前に壕の存在を確認し、遺骨収集に携わった関係者らだ。6月21日、約20人が参列、み霊を追悼し、祈りをささげた。

戦争で亡くなった尊い命に祈りをささげる参列者=6月21日、糸満市糸洲の糸洲第二外科壕跡(陸軍病院第二外科壕跡)

 壕の存在は、尚家の子孫で歌人の故井伊文子さんや、1972年に井伊さんを中心として設立した社会奉仕団体「仏桑花の会」の本土側事務局長の故石川洋さん、沖縄ダイケン(山盛博文社長)の3者が、壕周辺の清掃活動をした際に確認した。遺骨を収集し、同時に慰霊祭を開いた。

 井伊さんや石川さんが亡き現在も、関係者らが遺志を受け継ぎ、壕周辺の清掃と慰霊祭を続けている。

 慰霊祭には「石川洋に学ぶ会」の山内光子会長をはじめ、井伊さんが総裁を務めたNPO法人琉球の茶道ぶくぶく茶あけしのの会の田中千恵子会長、沖縄ダイケンの職員やOB、石川さんと親交があった宗教法人アシュラムセンター(滋賀県)の榎本恵主幹牧師らが参列した。

 慰霊祭で榎本牧師は、ひめゆり平和祈念資料館・公式ガイドブック(沖縄県女師・一高女ひめゆり同窓会出版)より、壕に身を潜めた体験者の証言を読み上げた。壕の前には、田中会長がたてた「ぶくぶく茶」や果物などを供え、ウチカビも燃やした。参列者は手を合わせ、世界平和を願った。

 (中川廣江通信員)