興南高校ってどんな学校? 「興南旋風」、甲子園春夏連覇の歴史ある強豪校


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沖縄県勢初の春夏連覇を成し遂げ喜ぶ興南ナイン=2010年8月21日、甲子園

高校野球沖縄大会の決勝に挑む興南高校。過去には「興南旋風」、甲子園春夏連覇を成し遂げた名門だ。名将・我喜屋優監督は同校の主将で4番打者でもあった。

統治下、沖縄沸かせた快進撃

沖縄勢が初めて甲子園に出場したのは1958年の第40回記念大会だった。当時の沖縄は米国の統治下にあり、球児たちが持ち帰ろうとした甲子園の土は植物防疫法により持ち込みが認められず、那覇港への上陸目前で海に捨てたのは有名なエピソードだ。

それから10年後の68年。

我喜屋監督は興南の主将で4番打者、中堅手として50回大会に出場した。

それまで沖縄のチームは春夏合わせて1勝しかしていなかった。興南は2勝の壁を破ると、打撃力を武器にあれよあれよと勝ち上がり、ベスト4に進出する快進撃を見せた。

パレードする興南の瀬長實監督(左)と我喜屋優主将=1968年

「興南旋風」に沖縄中が沸き、帰沖後の盛大な歓迎式とパレードには「大げさ」と批判も起こるほどのフィーバーぶりだった。

当時はパスポートを手に、船と夜行列車を乗り継いで甲子園入りした時代。主将だった我喜屋監督は「授業は英語ですか」などと質問されることもあったといい、沖縄は日本にとってまだ遠い存在だった。

して春夏連覇の偉業

我喜屋監督は高校卒業後、社会人野球で活躍し、大昭和製紙北海道時代の74年には都市対抗大会で北海道勢初の優勝に貢献した。

現役引退後は同チームの監督などを務めた後、2007年に母校の監督に就任するとわずか3年で史上6校目の甲子園春夏連覇に導いた。初出場から52年。沖縄にとって悲願だった夏の「深紅の大旗」を手にし、県民を再び熱狂の渦に巻き込んだ。

優勝後の勝利者インタビューで我如古盛次主将が発した「沖縄県民で勝ち取った優勝だと思っている」というフレーズは一躍有名になった。