2日後に迫った沖縄都市モノレールの浦添延長区間開業を空の上から見守る人がいる。1981年に設立された「沖縄都市モノレール建設促進協議会」で事務局長を務めた大友貞雄さん=享年(81)=だ。周囲の冷淡な反応にもめげず、建設計画の推進に情熱を傾け、夢を実現させた。4年前に他界し、“夢の続き”を見ることはかなわなかったが、開業日の10月1日、大友さんの遺志を継ぐめいっ子が遺影を手にプラットフォームに立つ。
「叔父は何度も『モノレールの運転手になりなさい』と私に言っていた。少しでも叔父さん孝行できたら、という思いがあった」。大友さんのめい、松川夕里奈さん(28)は感慨深そうに語る。
松川さんは3年前から県庁都市計画モノレール課の職員として勤務している。2003年の開業以来、「県民の足」となっている公共交通機関の運営に携わるようになったのは、大友さんが遺した言葉がきっかけだ。
宮城県仙台市出身の大友さんは早稲田大を卒業後、発足間もない日本モノレール協会に就職した。職員として都市モノレールの啓発・推進に努める中、那覇市での都市モノレール導入計画に関わるように。同市に居を移した後の1977年には、民間の推進団体「沖縄都市モノレール導入推進協議会」を立ち上げ、在野の立場から構想実現に奔走するようになった。
大友さんが生涯を懸けた沖縄都市モノレールの開通が実現したのは、松川さんが小学校6年の時。松川さんは当時を鮮明に覚えている。「一緒に乗って叔父は『沖縄の未来を変える』と話していた。今になってその意味がよく分かる」
「亡くなって叔父の偉大さに気付いた。夢を持ち続けることの大事さを学んだ」と松川さん。10月1日は大友さんの遺影を手に、大友さんと一緒にモノレール計画実現に尽力した琉球大学名誉教授の上間清さんと共に、「てだこ浦西駅」から10時発の一番列車に乗り込む。「30年近くかけた叔父の夢。『やっとかなったね』と声を掛けてあげたい」
(安里洋輔)