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大山貝塚出土品、65年ぶり”故郷”へ帰る 別府大から宜野湾市立博物館へ土器など譲渡 秋の企画展で展示


大山貝塚出土品、65年ぶり”故郷”へ帰る 別府大から宜野湾市立博物館へ土器など譲渡 秋の企画展で展示 大山式土器が65年ぶりに大分県から宜野湾市に戻ってきたことを喜ぶ宜野湾市立博物館の平敷兼哉館長(左)と長濱健起学芸係長=25日、宜野湾市真志喜の市立博物館
この記事を書いた人 Avatar photo 與那嶺 松一郎

 【宜野湾】宜野湾市大山の国指定史跡「大山貝塚」で65年前に出土した約3千年前の土器などがこのほど、大分県の別府大学から宜野湾市立博物館に譲渡された。貝塚からの出土品は沖縄県立博物館でも保管しているが、市立博物館では所蔵していなかった。同博物館の平敷兼哉館長は「国指定史跡だが知名度は低い。宜野湾にも立派な土器があることを知ってもらい、アピールする機会になればうれしい」と話す。市立博物館では25日から始まった秋の企画展「縄文時代の宜野湾」で一部展示を開始した。

 別府大学から宜野湾市に戻ってきた出土品は復元された大山式土器3点や土器片、獣骨、石のまな板など約480点。3年前に市立博物館関係者からの情報で、別府大学で保管されていることが分かった。同大は市に無償で譲渡した。大山式土器は鍋などとして用いられていたと考えられ、縦長で上部の口部分に模様が刻まれているのが特徴だ。

 土器などが出土した大山貝塚は米軍普天間飛行場のフェンス沿いにあり、地元では「ミスクムゥイ」と呼ばれる聖地。縄文時代後期に集落があったとみられる。

別府大学から譲渡された出土品(土器片、獣骨など)の一部=25日、宜野湾市真志喜の市立博物館

 大山貝塚の調査が始まったのは1954年。58年に別府大学の故賀川光夫教授(当時)と琉球政府文化財保護委員会の故多和田真淳氏の共同調査で発掘された。地層の上下関係から遺物の年代の先後を決める「層位学」の手法を用いた県内では初めての調査だった。その成果として土器群の新旧関係を明らかにし、大山式土器が縄文時代後期(約3千年前)に位置づけられることが分かった。出土品は資料整理と調査研究のため、一部が別府大学に渡った。

 大山式土器は沖縄諸島や奄美諸島の縄文時代の遺跡からも出土しているが、なぜ広がったかは不明だ。その上で市立博物館の長濱健起学芸係長は「大山式土器を見た子どもたちが学者となり、解明してほしい」と話し、企画展への来場を呼びかけた。

 企画展は12月24日まで。入場無料。期間中の11月12日と12月3日、同17日には関連講座を開催する。事前予約が必要。開館時間は午前9時~午後5時。火曜、祝祭日は休館(文化の日は開館)。問い合わせは電話098(870)9317。(名嘉一心)

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