「障がい者に勇気与えた」 音楽で社会参加後押し ケントミ理事長・故我如古盛健さん 関係者がしのぶ 


「障がい者に勇気与えた」 音楽で社会参加後押し ケントミ理事長・故我如古盛健さん 関係者がしのぶ  NPO法人サポートセンターケントミの理事長・我如古盛健さん
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 音楽活動を通して障がい者の社会参加に貢献してきたNPO法人サポートセンターケントミの理事長・我如古盛健さんが1月21日に67歳で亡くなり、親交のあった人々から惜しむ声が相次いでいる。我如古さんはデュオ「ケントミ」や、バンド「ケントミファミリー」を結成しライブで各地を訪問したほか、2014年から障がいのある人たちが自ら企画して出演する「愛音楽(あねら)音楽祭」を主催して障がい者が主体的に活躍できる社会の実現を目指してきた。

 ケントミファミリーの一員で、プライベートでも交流があったサポートセンターケントミの新垣元気さん(26)は我如古さんを「ケンさん」と呼び、親しくしていた。「言ったことは曲げない性格で芯のある人だった。親身になって相談に乗ってくれた。まずは『お疲れさま』と言いたい」としのんだ。

 車いす陸上の上与那原寛和さん(52)は「愛音楽音楽祭」の審査員を務めたことがきっかけで親交を深め、10年ほどの付き合いだ。「人のために一生懸命努力する人だった。『お前が頑張っているから、俺も頑張れる』と話していた」と振り返る。2021年の東京パラリンピックで銅メダルを獲得した時は、我如古さんが感極まる様子を見せていたという。「たくさんの方々の励みになったと思う。(亡くなって)とても残念だ」と悔やんだ。

 社会福祉法人みやこ福祉会の伊志嶺博司理事長(65)は、亡くなる当日に面会していたといい「僕のことを待っていたのかな」と話した。2018年には第10回愛音楽音楽祭を宮古島で開催した。笑顔で歌う我如古さんの姿が忘れられないという。「心から尊敬できる人。県内の障がい者に勇気を与えたと思う」とこれまでの功績をたたえた。 

(渡真利優人)

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