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グアムから慰霊の帰郷 レストボグさん、家族の名に涙 平和の礎 遺族ら祈り 沖縄


グアムから慰霊の帰郷 レストボグさん、家族の名に涙 平和の礎 遺族ら祈り 沖縄 平和の礎に手を合わせるレストボグ正子さん(奥)、宮良蒼海さん(左)、宮良逞海さん(右)=23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園
この記事を書いた人 Avatar photo 外間 愛也

 終戦後、疎開先の熊本から親族のいた大阪を経て沖縄に戻ると、地元に残っていた家族は誰もいなくなっていた。一緒に疎開した妹と2人だけが生き残り、途方に暮れた。「家族の名前を見ると涙しか出ない」。移住先のグアムから23日の慰霊の日に合わせて帰郷したレストボグ(旧姓・澤岻)正子さん(93)は、平和の礎の前で目頭を押さえながら、戦争の悲惨さを口にした。

 生まれは那覇市首里で、戦前、首里第三国民学校に通っていた際、妹と熊本に疎開した。疎開中、沖縄の状況はほとんど分からず、沖縄に帰って、両親ときょうだい4人が亡くなったことを知った。死去した場所は不明で、遺骨がどこにあるかも分からないという。

 戦後、結婚し、40歳前後で息子らとグアムに移住した。家族が亡くなったことについては「言葉にできない」と目をうるませた。平和の礎の前で手を合わせ、心の中で「私はまだ元気でいますよ」と亡くなった家族に語りかけた。

 ひ孫で浦添市の内間小6年の宮良蒼海(あおい)さんは「家族がたくさん亡くなったのは悲しい。平和でみんなが住みやすい世の中になってほしい」と曽祖母(そうそぼ)の悲しみに思いを寄せた。

 同じくひ孫で同4年の宮良逞海(たくみ)さんは、平和の礎に書かれた戦没者の多さを見て「こんなにたくさんの人の名前が書かれるような戦争は起きてほしくない。平和で人々が人権を持って生きられるような世界になってほしい」と思いを語った。

 (外間愛也)