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「大龍柱は正面向き」首里城再興研がシンポ 県民へ「正面説」訴え必要と結論 沖縄


「大龍柱は正面向き」首里城再興研がシンポ 県民へ「正面説」訴え必要と結論 沖縄 活発に議論したシンポジウム「首里城と沖縄神社」のパネリスト=14日、那覇市の那覇市職員厚生会厚生会館
この記事を書いた人 Avatar photo 宜保 靖

 シンポジウム「首里城と沖縄神社」(主催・琉球館、首里城再興研究会)が14日、那覇市おもろまちの那覇市職員厚生会厚生会館で開かれた。参加したパネリストは、首里城正面の一対の大龍柱の向きについて、正面向きで一致。このままでは、互いに向き合う相対型になる可能性が高いとして、県民にさらに正面説を訴えていくことが必要と結論づけた。

 同シンポジウムは首里城と沖縄神社に関する写真や図版、文字資料などを分かりやすく一冊に収録した「首里城と沖縄神社―資料に見る近代の変遷―」(近現代資料発行会)の刊行を機に開催された。

 まず、1923年、老朽化で取り壊される予定だった首里城は、城内に沖縄神社を創建することで、その神社の拝殿として存続することになった歴史を振り返った。25年に完工した沖縄神社は大日本帝国の沖縄に対する宗教政策、同化政策の施設であり、その拝殿となった首里城はかつての琉球国の王城だった。

 パネリストの田場裕規沖縄国際大学教授は、「かつて向き変更があったとすれば、政策決定のルールに従って、何らかの文書が残されているはずだが、見つからない。それは向きを変えたことがないからだ。一貫して正面向きだった」と語った。

 また、神奈川大学非文字資料研究センター客員研究員の前田孝和氏は「首里城は正殿だったが、沖縄神社が創建されたために、拝殿となった。拝殿となったため大龍柱は、狛犬に代わる物となり一般の型である相対になったのではないか」とした。

 現在の首里城の復元を進めている「首里城復元に向けた技術検討委員会」は暫定的措置としながらも龍柱の向きを相対向きとしている。

 会場からの質問もほとんどが龍柱の向きについてで、「今回刊行された本を見れば正面向きは明らかだ。この論争をもっと広めてほしい」などと語っていた。

(宜保靖)