prime

「命どぅ宝」伝えたい HY「時をこえ」発表から10年 児童と共に歌い継ぐ祖父母の戦争体験


「命どぅ宝」伝えたい HY「時をこえ」発表から10年 児童と共に歌い継ぐ祖父母の戦争体験
この記事を書いた人 Avatar photo 共同通信社

 沖縄県が拠点の人気4人組バンド「HY」が、沖縄戦を生き延びた祖父母の経験を基に制作した楽曲「時をこえ」。発表から10年余り、今では小学校で平和授業をしながら子どもたちと共に歌う。「僕らが伝えなきゃ」。4人は音楽の力を信じ、「命(ぬち)どぅ宝(命こそ宝)」のメッセージを多くの人々に届けている。

 はかなく切ないラブソングや、明るくエネルギッシュな作品で高い支持を得てきた。結成10年を迎えた2010年ごろ、メンバーの仲宗根泉さんは自殺に関するニュースを多く目にし、命やルーツを考えるようになった。

 頭をよぎったのが、多くの命が奪われた沖縄戦。祖母の傷をえぐってしまうのが怖くて、深く尋ねたことはなかった。「体験を直接聞ける最後の世代になるかもしれない」と歌に残すと決めた。

 話は想像と少し違っていた。逃げる前に力を付けようとヤギを調理していると、米兵に見つかった。曽祖母は「アメリカだろうが関係ない。一緒に食べましょう」と声をかけ共に囲み、捕虜になった。敵に捕まるぐらいなら命を絶つべきだと教え込まれた時代。「命あってこそ」の信念を貫いたと知った。

「時をこえ」が収録されたアルバム「LOVE STORY~HY BEST~」のCDジャケット(Handmade Music提供)

 仲宗根さんから自身の祖父に話を聞くよう頼まれたボーカル新里英之さんは、時がたっても語れない姿を目の当たりにした。「話しきれない」。こわばった表情でつぶやいた一言に「おじいはどれほどつらい経験をしたのだろう」と苦しくなった。同時に、それでも生き抜いてくれたから今の自分がいることを痛感した。

 仲宗根さんは2人の出来事を「昔の話を聞いたのさ」で始まる歌詞に落とし込んだ。つながれた命を大切に生きる。何よりもこの思いを伝えたかった。完成間近だった沖縄民謡と三線(さんしん)のメロディーに、かつて争った米国が発祥のゴスペルをあえて加えることに。新たな挑戦にメンバーは当初驚いたが、HYは音楽の可能性を信じた。「敵味方と分ける限り憎しみは終わらない」。双方の音色を共存させ、命に優劣はないと伝えたかった。

 願いは国や世代を超えた。曲に触発されルーツを探しに沖縄まで訪れた日系ペルー人3世の男性や、詞から平和を学んだ県外の修学旅行生たち。「音楽が地球のいろいろな所へ連れて行ってくれる。そんなパワーを実感している」とドラムの名嘉俊さんは語る。

 4人は小学校で、歌詞の意味を伝え、一緒に平和を考える授業をしている。ベースの許田信介さんは「歌を自分なりに解釈して未来を描く子どもの姿は僕らの原動力にもなっている」と話す。伝統芸能エイサーや合唱曲として歌われるようにもなり、4人の思いはさらなる広がりを見せている。